顔にかかる雨

ハリの上の如雨露

一生を背負えるのは当人だけだから、手を差し伸べるのは間違っていると言われてみて。
それが正しすぎるくらいに正論だと知りつつ、それを必ずしも受け入れられない自分を発見していました。

オレを救い上げてくれた人は必ずしも善人ではありませんでしたが、当時のオレにとっては恩人でした。
善意だけでなく悪意も含めたドロドロと折り重なった感情がオレたちの系譜であり、その関係と彼の人に終止符を打った後もオレを型作る種の1つになりました。

打ち捨てられて当然の人間でも救いがあることで変われる。
救いは一般には必ずしもそう映らずとも、当人にそう映れば意味を為すもの。

それを知らない人に何を言われても、オレの心には深くは響きません。

雨を浴びながら転がっていたオレにかけられた言葉を思い出します。
その暴言はオレにとっては今も福音です。

雨音は初老の恩人の靴音に重なります。

雨の日のために

雨の日のために

土砂降りの雨の音で目が覚めました。
寝ぼけ眼で珈琲を淹れてると、ランダム再生のオーディオからGoo Goo DollsのSlideが流れ出てきました。
珈琲をすすりながら、薄ぼんやりとした頭でこの曲をよく聴いてたことのことを回想します。

別れ難い相手と離れる時に、周囲の人間関係ごと切り離してしまう悪癖がオレにはあります。
別れ難さの要因は、好意であったり恩義であったり様々ですけども、共通して言えることがあります。
それは切り離すと決めた人間関係が、よりその相手に近しいあるいは必要なものだということです。

オレは依存型の人間ではないので、付き合う相手や環境において自分を変えることは難しいです。
しかしながら、依存型の相手がオレのそれに合わせてくれることもまた欲するべきものではないのです。
だから、変わって欲しくない場所ごと離れていってしまう…って、これもまた我侭でしょうけども。

「相手か環境か方法か自分かどれかが間違ってるから上手くいかない。 何かを変えれば上手くいく」
いつか吐いた毒は、彼の人の心に響いてくれているでしょうか。
思えば2人が会う日はいつも雨が降ってましたっけ。

傘嫌いのオレが雨の日のために用意するのは傘ではなくて…。

忘却の華

ヒカンザクラ

忘れたいと望もうが望むまいが、人ってのは忘れていく生き物です。
起きて、仕事して、遊んで、食べて、寝て…。
ただの日常の繰り返しが記憶を奪っていくのです。
そうやって風化していくくらいがちょうどいい、オレはそう思います。

それでも紡ぎたい記憶なら、媒介に傷や痛みを刻み付けて。
彼の人の記憶の媒介たる、春の花と薩摩の海とに酔いどれた夜はそんなことを思うのです。

「忘れたがらない相手に何もあげちゃダメ」とは、別の相手に言われたステキな言葉。

生部

ケルト十字のある店

お互いにある種の地雷になり得る相手と会ってきました。
結果としては、会いに行って良かったなと思います。

会っていいものか悩んで期間を空けてみて、その間に環境に変化があったわけでもないですけど、頭を冷やすことで擁護するそれだけでなく、場合によっては辛辣とも取れる言葉を選べましたし、相手にもそれを理解してもらえたように思います。

「優しい」と言われるのには、相変わらず慣れませんし、その言葉自体に納得も出来ません。
でも、相手が甘やかしてくれる環境にないのなら、オレくらいは無条件に甘やかしてしまってもいいんじゃないかなと思うわけです。
そうすることでオレ自身が救われるのであれば、相手にとって意味がないことでもいいんじゃないかなって。

麦酒縛りの夜は、某所の鋏使いとの夜を彷彿とさせてステキな気分にしてくれました。
笑い疲れた感覚が、乾杯の相手にもオレと同様にありますように…。

白木蓮

ズレる光

いつかの墓参り。
葬儀に参列できなかった方のそれ。
死の香りのまだ濃いその墓は手向けの花で彩られ、その人望の大きさを無言のうちに示している。
墓の前に座り込んで故人との思い出を手繰り寄せると、実に酷い思い出ばかりで苦笑いがこみ上げる。
不思議と涙が出なかったのは、既に荼毘に付された相手に現実味がなかったせいか。

悲しいのは彼の人が死んだことではなくて、これから先ずっと彼の人と共に歩くことがないということ。
それでも、オレは彼を忘れずにいる義務がある。
それが、歩む道を一瞬でも同じくしたオレが出来る唯一の手向けだから。

おやすみなさい。
また、どこかで。

「いいおんな」という店

籠から籠へ

テリーヌをオーダーし、シラーと共に舌鼓を打つ。
周囲は小奇麗な印象のあるカップルか女性2人連れで、喧騒とは無縁の店にふさわしい。
汚い不良中年予備軍は目を引くらしく視線を投げられるが、こちらとしては特に意識するものでもない。

甲斐甲斐しく動く奥様に控えめな会釈をしながら、豪快な口調で繊細な調理をするマスターの姿を眺めてみる。
オレが背伸びすることしか出来なかった時代から、同じ味と雰囲気を頑なに守ってきた彼らは尊敬に値するし、その守ってきたものが好きだからこそオレは1人になった今も足を向けるのだと思う。
上へ上へ前へ前へと変化し続けるよりも、そこに在り続けることの方がずっと難しい。
オレには真似の出来ないことだから、その様にオレは安心感を求めるのだろうなと。

デセールの甘さも、珈琲の苦味も。
10代の頃と何も変わりゃしない。
変わったのはオレだけ。

そうオレだけ。

講師≠職人

講師って立場で考えちゃうと、どうしても甘やかしてしまったりしてしまうんですが、これが同じ職場の同僚ってことだったら話は別です。
学生や訓練生を部下に持ちたいかと問われると、答えはおのずと「NO」となります。
おそらくは彼らに言わせても、「NO」となることは想像に難くありません。

それは好き嫌いの問題ではなくて、1つにはオレのアンダーで働くには心が弱いからです。
包み隠さずに言ってしまえば、ここ半年の間に関しては1週間もてば御の字なくらいの相手にしか会ったことがありません。
オレの仕事に対する屋台骨ってのは暴力を伴う教育を基に作られていますし、それと同じことをするわけではないですが、体ではなく心を抉る術をもって部下や同僚・上長と向かい合うことが染み付いてしまっています。

そして、もう1つはプライドが無駄に高いというか、求められるものと自身のスキルとのギャップに気がついていないという点が気に食わないのです。
オレ自身が無駄に高いプライドを持ってるので、その無用さ加減もよく知ってますし、そこにすがる甘えの無益なことも知ってます。
職場っていう同じ船に乗ってる以上、その目的地にたどり着くよう努められないヤツであればオレは容赦なく切り捨てます。
道を違えても同じ目的を目指すのであれば合流もあり得ますが、そうでないのなら放置や分岐ということをせずに文字通りバッサリとサヨナラしてしまうってことです。
仕事ってやっぱりベクトルを同じくしても、その速度感や到達点の高低が異なってしまったら、満足のいくものって出来ないんだと思います。
以前は自分程度のものは誰でもできるとうそぶいてましたけど、自分の速度感や達成高度ってのは他に比べて速いし高いことは明らかです。
そこに到達できない、あるいは到達できるレベルにない相手は、やはりビジネス上は分かり合えることはあり得ないのだろうと思ってます。

大好きなプランナーの言葉の言葉を借りれば、「楽しくなければ仕事じゃない」わけです。
そして、オレのそれは周囲に言わせれば、楽しい以前に厳しかったりしんどかったりするものです。
笑って走り抜けたいから、オレは自分にとって楽しいことを他人に押し付けますし、他人のそれを押しつけられれば笑って受け入れるか、笑って押し返します。
そこに手を握って同調できる、あるいは面と向かって反発できる相手じゃなければ、オレと仕事をするのはツライだけなんだろうな…と思うわけです。

「貴方とだけは一緒に仕事したくない」
耳の中で響く言葉は、辛辣と納得を両手に携えてオレの心を抉るのです。

ディープ・インパク知

サンドイッチマンお持ち帰り

「1度会ったら忘れられないインパクトがある」
そんなことを言われる機会が、不思議と多いのです。

自分の居場所を作る、要は誰かの心に刻んでもらうためだったら、昔からその手段を厭いません。
語弊を恐れずに言えば、簒奪や暴力ですらもその手段になり得るわけですよ。

なぁなぁで時間を削っていくのは性に合わないし、世間一般の枠組みからドロップアウトして久しいですし、自分の望むものであれば横紙破りくらい平気でします。

多分、そういうのが普段の言動や行動や雰囲気に出ちゃうところで、1度見たら忘れないとか言われるんじゃないかなとかとか。
見えっつらは美形でも醜形でもない、まさに十人並ですから。

左手の握手

赤い車

ふらついて、踏みとどまってみて。
酔っ払いさながらの姿に我ながら可笑しくなり、不意にふっとぼやけた左目の視界にいつかの光景を思い出します。

HIVに倒れ、光を失った彼の人が最後に握手を求めたのは左手。
オレは意を汲まずにその手を右手で握り、彼の人の口の端が人の悪い笑みに変わるのに微笑んだと記憶しています。

「お前がいるなら死んでも安心だ」という台詞に「死んでから言え」と毒づいたオレは笑えていたでしょうかね。
握り返したオレの右手はきちんと笑えていたのか、今になって聞いてみたくなります。

最期にちゃんと笑顔で向かい合えたかどうか、未だにそれだけは気掛かりです。

見知らぬ街のカウンターで

カウンターで

「我慢して5年もつなぐなら、無茶して1年で閉じる方がいい」

死にたくないわけじゃないけど、生きていないことの方が怖いのです。
自分から逃げて生をつなぐのは、生きているってことじゃない気がするのです。

まぁ、カッコイイことを言ったところで、ホントに望むのはちっちゃなことです。

オレの何かを紡いでくれるヤツが1人でもいること。
オレのつないだ誰かの何かを紡ぐヤツが1人でもいること。

今は、笑って乾杯を続けられる仲間に恵まれたことに、ただ感謝。

珈琲の価格

today's blend

グラム450円前後という豆は果たして高いんでしょうか、安いんでしょうか。
オレとしては高くも安くもなく、実に真っ当な金額だと判断しています。

他の飲料を考えると高いのかもしれませんけど、珈琲なんて嗜好品であってそこにコスト以上の魅力を感じなければ手を出すべきものではないと思ってます。
煙草や酒と同じで、そこに費用感を見出してしまった時点で、美味しくなくなっちゃうんじゃないかなと。
嗜好品なんてそこそこ余裕がなければ楽しめないし、手を出すべきじゃないと思ってます。
少なくともオレは。

一生涯で楽しめる量が決まっている類のものであれば、やっぱり自分が納得できるレベルのものをいただきたいと思うわけです。
例えそれが少量であったとしても。
いえ、そもそも足りないと感じてしまう時点で、自分の身の丈に合っていない楽しみになってしまうんですけどもね。

互いに求めるものの高さや深さは変わらないかもしれません。
ただ、そこに到達するまでに求める期間の長短は異なります。
埋めることが到底できないほどの差で。

かつてはそのギャップすら乗り越えて指導や共進が行えるという幻想を抱いていました。
それが幻想だと明らかなのは、かつての部下と連絡がつかないことからもうかがい知れますが、無理な速度と精度を求めた代償としてオレは彼らとの信頼関係を失いました。
いえ、正しくは信頼関係を失ったわけではなく、最初からそんなものは存在していなかったのでしょうが。
オレは「ついていけない」と彼らが引いたラインを跨いでまで、彼らを引き摺り回そうとは思えません。
同じことを繰り返すのは目に見えていますし、何より今は自分の速度が遅いなんて嘘をつく余裕もないからです。

自身の時間の不足ゆえに、その充足を求める速度は乗算するがごとく速まっています。
加算的にしか進捗せず、なおかつ時に減算すら行われてしまう彼らと歩みを一にすることが出来るはずもありません。
ゴール地点が同じであっても、設けたタイムリミットが異なれば歩みの速度が異なる…、ふと立ち止まるまでそんな単純なことに気づけずにいました。
自分と同じ速度で走りきってくれるなんてのは幻想だってことに。

彼らの潜在能力はオレなんかよりもよっぽど優れているという考えは変わりません。
使い方や使いどころが少しばかり下手なだけで、コツさえ飲み込めばすぐにオレなんか追い越されていまうのは分かっています。

でも、それであっても今はもう待てません。
自分の欲するものを為すためには、並走するわけにはいかないし、無理に引き摺り回すことも出来ないからです。

ハッキリしたのは、やっぱりオレは孤であるのだということ。
その方が楽だし、そういう風にありたいと今は胸を張れる気がします。

新年イヴ

光の温度

相も変わらず、超ド級の展開でした。
よくも心がついてきてるなと、我がことながら感心です。
講師とかネゴシエーターとか写真屋とかデザイナーとか、脈絡なく何やってんだろうって感じですね。
体の方は騙し騙しならまだいけそうな雰囲気ですので、ご安心あれ。

何はともあれ、そんな中でもつながっていてくれた全ての事柄と友人たちに感謝。

ありがとうございます。
ハグを交わした貴方に。
お会いできた貴方に。
メールをいただいた貴方に。
そして、まだ見ぬ貴方に。

来年もまた、シンプルに、気まぐれに、ええかっこしいで行こうと思います。
次の乾杯もよろしく!

平等

桜木町の珍景

オレの言う平等は「みんな同じように」ではありません。
責任や過程・結果に応じた見返りや反動は当然格差が付いてしかるべきで、それを踏まえた上で等しく接することが平等だと考えています。

ビジネスの場においては、上長にも部下にも手厳しく、クライアントや協力者においても手厳しいことを吐きます。
対価に見合う仕事をしろという前提に基づいて。

対人関係においては、仲間意識が強ければ強いほどに言葉もより強くなりますし、深くもなります。
だから、毒づかれたことのない相手よりも毒づいた相手、あるいはオレに対して酷いことを言う相手の方が、よりオレの本質に近しい相手だと言えます。

みんなで仲良くなんて出来るはずもない。
でも、それぞれの分野でそれぞれの責務をこなして、それぞれに結果を出せればきっとそれは平等に益や損をもたらすはずで…。

そこに価値を見出せない相手とはなかなか一緒には居られません。

枯れ尾花

足元の花

生をつないだものしか紡ぐことは出来ません。
だから、生き残った者は紡ぐ義務があります。
まぁ、死んだ人間は笑ったりしてはくれませんが。

それを押し付けるような真似はしませんし、何よりそれが唯一無二の真実なんて思ってはいません。

でも、オレが幼い頃からそれを続けてきたのは、そうすることで自分の救済が得られることを信じているから…。
いえ、生き残っていることに感じる罪悪感を何とかして掻き消したいと望んでいるからかもしれません。

長い間そういうことが発生しやすい環境にいたせいで、背負ってるものが周りよりも少しだけ多くて、その分だけオレの影には多くの色がついています。
生活感のなさも、ふっといなくなりそうな危うさがあるのも、背負い続けてきたものが、ほんの少しばかり多いからなんだろうと思ってます。

そう、ほんの少しだけです。
だから、きっと似たような環境になくたって、50年も人間を続けてれば誰でも同じようなレイヤーでオレを見てくれると思います。

ね、オレの正体が見えたでしょ?
碌なもんじゃないうえに、大したもんでもない。

ただちょっとばかりええかっこしいだから、早いうちから色々と背負い込んでるだけ。
ただそれだけです。