雨の夜

黒珈琲

相談に乗ったカフェのテーブルで、ふと思い出した言葉。

「尊敬できない相手とは人間関係は築けない。そうじゃね?」

ああ、そうだった。
どんな関係であれ、敬える部分のない相手とは向かい合えない。
対等な部分やお互いに対等以上の部分が1つ以上存在しない相手とは。

少なくともオレはそういう種類の人間だった。

雨の夜に思い出したのは暗示的なもんかな…。

個々

電柱のシール

異常だと言われても、人を「個」としか見れないのです。

オトコだからとか、オンナだからとか、年上・年下だからとか、上長・部下だからとか、…。
いつの頃からか、そういうものはどうでも良くなってしまっているのです。

好きか嫌いか、大事だと思えるか否か、ぶつかってでも一緒にいたいかどうか…。
判断基準がガキのそれというのは考え物ですが、そういうのが気に入っていたりもします。
自分にメリットがあるかないか、それぐらいは判断しても良さそうなものですが、そこに価値を見出せないのも事実です。

やっぱり異常なんでしょうかね。
「らしさ」といえば「らしさ」かもしれませんが。

一致しない賢さ

夕凪と波

bright≠clever

やはり、そういうことなんだと思います。
誤解を恐れずに言えば、不等号が入る式すら浮かびますな。
聡明な賢さを持つ相手は扱いやすく、望みに近しい形に優等生な動きをしてくれますが、狡賢さを持つ相手はまったくもって想定しなかったような、実に喰えない動きをしてくれます。
自分が優等生であり得なかったことを感謝に近い気持ちで受け入れるのは、そういうものをゾクリと感じるような状況に陥った時です。
その当事者であろうとなかろうと。

愚鈍さの親戚のようなオレの異質な種類の賢さは周囲の期待すら裏切って、自分の欲するものを不思議と連れてきてくれるようです。
望むべきものが一般と異なるからなのかどうかは知りませんが、オレが欲するままに事態は進むようで…。
嬉しいやら悲しいやら。

5を捨て10を取るのではなく、手元の5を失ってもどこかから100を引っ張ってくる覚悟がなきゃ、やっぱりいけない世界もあるわけです。

heavenly kiss

夕闇の支柱

誰かの傷や不安を背負う
そうすることで自身の救済も得られることは知っている
これまでもそうやって生きてきた
かつてオレの負の感情を背負ってくれた人たちもいる

だから、当然のことだと思ってはいる
息を吸って吐くのと変わらないくらいに

それでも、誰かの負の感情はオレを相応の深さと強さで傷つけていって…
決して見返りを求めたわけでもないはずなのにね…

真意の伝わらない事実は確実に苦しみを伴ってやってきて
刺々しい苦しみは自分の居場所を失う恐怖に変わって心の中に穴を穿つ

今、立ち止まって誰かの胸に顔を埋めてしまいたい
そんな弱さに甘えてみたくもなる
でも、それがなかなか上手く出来ない自分がいて…

いつも自分を優先できなかった貴女に似てしまったのかもしれない
貴女の傷は背負えなかったけれど、貴女のように生きてみたいとまだ思ってる

まだ思ってる

素の出せる街

戦略と戦術は違うようで導く結果は変わりません。
戦略的な勝敗は戦術でひっくり返すことが困難な状況を生みます。
戦場についた瞬間に雌雄が決していたなんてことは往々にしてあるものです。

久々に素で真面目に語ってみて、そんな当たり前で大切なことを思い出しました。
やっぱり「素」でやれる場所って楽ですね。

今日の相手とは、これからも素で向かい合いたいと思いました。
少なくともオレが膝を折るまでは。

Poisoning Time

オレの言葉は辛辣で直球です。
裏を読めない人間にはその真意は伝わりません。

でも、分かるヤツだけ分かればそれでいいと思うのです。

突き放す言葉や、蔑む言葉を額面どおりに受け止められて、悔しさをバネにしたって、それはオレの望むべき結果になるわけですし。
自分が嫌われることに意味があるのであれば、無意味に意識されない対象になるよりもよっぽどステキです。

きっとどこまでいってもそれは変わりません。
かつて、地元バーで毒を吐いて上を目指して欲しいと望んだように。
かつて、部下に人でなしと呼ばれつつ成長を促したように。

うん、そういうのがオレだし。
オレはオレだし。

つーことで、ハッピーバースデイ。
オレとオレの愛する全ての人たちにいいことがたくさんありますように。
ありったけの気持ちを込めて。

チェーンコーヒー店で

「兄ちゃん、サングラス、カッコいいな」

突然の言葉に面食らいつつも、カップから目を上げて斜向かいの席に視線をやると、そこにはよく日に焼けたオールバックの男。
黒地にビッシリと刺繍の入ったスカジャンに淡色のスラックスという井出達は、かつて彼がヤンチャしていた時のそれのままだと思われ、人の良さそうな目尻には服装の割りには年を重ねた証拠の深い皺が走る。
この手の輩にはよく声をかけられるので、あまり苦手意識はない。

一言二言を交わして、純粋に会話を楽しんでみる。
彼の言葉に虚飾はなく、時に自嘲の混じった色すらあるが、そこに同情は感じないし同調できる部分もない。
前歯のない彼の言葉は切れが悪く、オレの声と同様に聞き取りづらく、互いに聞き返すことで会話は寸断されるが、そんぐらいの速度感が、仕事前の昂った気持ちを静めるのにはちょうどいい。

「ツレが軍資金稼ぎに打ってるのを待ってんだけどよー。なかなか帰ってこなくってさ」
彼の目の前に置かれたカップに目をやると、そこに満たされていたのは珈琲ではなく薄珈琲色をした水。
おそらくは2杯目を頼む金がなく水を飲んでいるのだろうが、そんなことはどうでもいい。

「バカ勝ちしたらメシでも食わせてくださいよ」
自分のカップが空になったのを合図に、思い切り愛想良くそう言うと、オレは彼の言葉を待たずに席を立つ。
この邂逅に意味などないが、人相の悪いオッサンがお互いを覚えていたらそれだけでも悪くない。

声をかけるどころか目を合わせようともしない周囲の一般客より、お互いの時間を使ってくだらない会話で笑える彼の方がオレとは近しい。
オレや彼が世間的にどんな評価をされていようと、少なくとも互いの言葉を交わしたその瞬間は確実に対等だったと思うわけで…。

先日、兄貴分がオレに語った、「ボロ布のようにたたずむホームレスと自分たちに差がない」って言葉の意味に少し似ているのかもしれない。
自動ドアが開いて、店内に秋の風が流れ込む瞬間にそう思った。

落ちる先の自分に

昨日出来ていたことが今日出来なくなる。

それは怖いことのはずですが、オレには好機に映ることもあります。
見えていたはずものが見えなくなることで、見えなかったはずのものに気がつく好機に。

下降線の先の自分は、きっと今の自分よりも多くのものを見ている。

そんな期待感というか、不思議な感覚があります。
不安から目を背けるのではなくて、不安を直視することで他の事実を見出すような。

またあの日を迎えるにあたって、腹を据える必要があります。
でも、どんな環境・状況にあっても飄々としているくらいがオレなのかなと思えるようになったかもしれません。

紡ぎ手

オレはオレの紡ぎたいものを紡ぎます。
紡ぐべきものではなく、紡ぎたいものだけを。
それによってオレに不利益が生じたとして、それを変えるつもりはありません。
いえ、それを変えられるほど器用ではないといった方が正しいでしょうか。

過去の記憶を未来につないでおきたい、ただそれだけのために紡ぐ言葉や感覚があります。
そこに今は意味を見出せなかったとしても、いつかの偶然で意味が生じてくれることを祈りながら。

YOU

簒奪は愛情の表れではなくて我侭の結果で。
破壊は感覚のブレから生じたものではなく、必然的に引き寄せた結果で。

そうやって歩んできた人間が、今更誰かの為にとか歩み直そうとなんて考えてみたところで足跡が消えるわけもなくて。
でも、それであってもどこか贖罪とかいうことじゃない、もっと低いレベルで何かを為そうと試みたりする気持ちが消えてしまうこともなくて。

自分を少しでも切り売りして後に何かを残したいし、痕跡というか爪痕というかそういったものを其処彼処につけておきたいと望みます。
長い年月を経てから何かの拍子にオレを思い出してくれたら、そういうのって最高なんじゃないかなって。

相も変わらない、人間関係の破壊者であり、本能のままの簒奪者ではありますが、そんな自分ですらも嫌いになれないし嫌いになる必要もないことを再認識する今日この頃です。

まだまだ「オレらしく」ありたいと。
オレはオレだよってね。

圧の変化

フラッとするような感覚があります。

久方ぶりの強大な台風の到来。
気圧の変化は体内の圧力にもグッと影響を与えて。

今の状態のオレが健康とする位置というのは、肉体的には必ずしも正常ではない様子で。
転ばぬ先の杖で口に含んだ錠剤もまた、オレの思い描くのとは少し違う健康体へと体を導こうとして。

覚束ない頭と体をスーツで無理に武装したものの、利用路線は派手な人身事故の影響で駅構内にすら乗客を取り込めない状態で。

まったく。
いらない心臓ならオレらにプレゼントしてくれと思わなくもなかったりしてね。

「忙」の意味

忙しいというのは、心を亡くすと書きます。
実際に多忙な時期というのは、心の余裕のない時なんだと思います。

ただ、その瞬間こそ心が機能していなかったとしても、後々になって心に余裕が出たところで、多忙な時期に犯した失敗や五感から得た情報に向かい合うことに気がつきました。
つまり亡くしているわけではなく、心は閉じているだけなんじゃないかなと思ったわけです。

要は、心を閉じたいがために「忙しい」というのを言い訳にしているだけなのかなと。
亡くすことなどありはしないと知りながら、その免罪符にすがっているだけなのかなと。

オレ自身は心を自発的に閉じることがありますし、気づけば閉じたまま何年も開かない部分だってあります。
そちらに関しては開くことで自分の平常心が保てなくなるので、よほどのことがない限りはどんな相手にも開いたりはしません。
おそらく今後は墓の中まで持っていく類のものです。

墓の中まで障壁を作るべきものとそうでないもの。
その区分けをちゃんとすべきなのかもしれませんね。

少なくとも、もう準備を始めてもいい時期だと自分の名と同じ季節を再び迎えてみてそう思いました。

忘却の温度

忘却というのが死の形だと思います。

忘れられてしまえば、そこには何も存在しません。
それがオレの描く死の形。

場合によっては、最初から存在しなかったことになるのかもしれません。

でも、それでいい。
いや、それがいい。

名前をちゃんと呼んで

記号としての名前というのがあります。
役所や病院で自分を指し示すための名前といえば分かりやすいでしょうか。
待合札やカルテ番号と大差ない、識別コードとしての名前は、呼ばれたところで何ら感情を動かすことはありません。
少なくともオレはそうです。

名前をちゃんと呼んでもらえることが嬉しいと感じる人は、おそらく名前を否定する環境にいた人だと思います。
芸名・源氏名であったり管理番号であったり、本来の名前を使用されずに呼ばれる人ほど、自分の名前に対する愛着は強いんじゃないかなと、オレは思うわけです。

先日の悪戯電話に嫌悪にも似た違和感があったのは、本来の読み方をしてもらえなかったからかもしれません。
あの街で本来の読み方をしないことを許すのは数えるほどで、そのいずれもが深い関わりを持つ方です。
つまり、呼び出された場所とオレとの関係もよく知っているはずで、少なくともそれが何を意味するかは知っています。

深夜にかかる時間帯にブチ切れなくて良かったなと、不可思議な読みを持つ自身の名に感謝しました。

さとみです

半年前に会ったらしいですが、半年前に飲み歩ける状態じゃなかったのは周知の事実。

となると、誰から番号が流れたかは…なー。

いた電もたまには悪くないでーす。

ちょっと面白かったのと、またかけてくるそうなので備忘のために書いておきます。