直線の言葉

かつての自分が培ってきた知識や経験、それが残ることが重要であって、自身の残留などは問題ではないと考えていました。
しがみつくことを醜態と捉え、手離れのいい様を潔しと信じてやみませんでした。

それを全否定して突き付けられた言葉のすべては、真直ぐで辛辣で飾らなくて、それだけにオレの心を深く穿ったわけです。
残念なことにオレの言葉は相手の心を穿つことはありませんでしたが、それはそれで良かったのかも知れません。

諦めと達観は場を一にしない。
そんな当たり前のことを忘れていた自分が恥ずかしいですわな。

ただ「ありがとう」と言いたいです。

記憶の無駄使い

意識下にあって意識していない感覚というのがあります。
ぱっと見た光景を、実際は認識しているのに思い出せないというのに似ている気がします。

ここのところ意識を飛ばすことが増え、先月にはその影響で左肩の肩盤損傷をやらかしましたが、あの手の瞬間には周囲がスローモーションになるってのは本当ですね。
つい先週にどんな言葉を吐いたのかすら覚えていないくせに、階段に叩きつけられる瞬間にガッと伸ばした右腕の感覚や天地を変えつつある周囲の人の驚きの表情は、ひと月あまりが経過してもよく覚えているものです。

なんつーのか、記憶力の無駄使いをしている気がしてなりません。

流行歌

カラオケで歌うのは、いつも決まって古い歌。

既に新しいものを覚えようという努力はしていませんので、それが原因の1つなのかもしれません。
ただ、心に響く歌であれば自然と耳に馴染んでいるはずなので、多感な時期に比べて感じるものが減ったのだと思います。
認めたくはないものですが…。

気づけば10年以上前の流行り歌しか分かりません。
CDを引っ張り出しては歌詞カードとにらめっこしていた過去の自分を思い出しつつ、ちょっと気恥ずかしい歌を歌います。

融点

万物は生まれもった融点や沸点を変えることが出来ません。
より高い山にでも登るか、適合する相手と融和でもしない限りは。
そして、それは人にも同様に当てはまるような気がして仕方ありません。

オレの沸点はやや高く、融点もまたやや高く。
それを変えることを許すのは、居心地の良い場所か気の置けない仲間だけです。

缶ジュースの気分

久々に昼間に公共交通機関で長距離移動したんですが、線路立ち入りで10分ほど待たされたこともあって、比喩でもなんでもなく凍えそうになりました。
あの冷房って確実にスーツ仕様ですよね?
今日はジャケパンにドレスシャツだったんですが、ジャケットを脱いでいたせいか芯まで冷えました。
普段のラフで涼しいカッコだったら、ほぼ間違いなく風邪引いてたと思います。

チームマイナス6%とか聞きますが、夏場のスーツ着用を国令で廃止するだけで普通に達成できちゃいませんかね…?
なんだか、冷蔵庫に転がった缶ジュースの気分でした。

覚悟

自分の人生の終わりについて間近に感じたことは幾度もあります。
文学的・比喩的なものではなくて、これ以上殴られたら死んじゃうだろうなーとか、隣りのヤツの次はオレが刺されちゃうんじゃないのかなとか、そんな分かりやすい直接的な要因によって。

ちょっと前に死にかけていたことを告げられた心臓のこともあってか、ここ2年ばかりは死について間近に感じることが増えました。
本音を言うと、愛について間近というか身近に感じることを増やしたいものですが。

ただ、後どれくらいだからアレを諦めようとかそういうのはキャラクターじゃなくて、どのくらい残ってるからどれとどれから手をつければどれくらいの余裕が残るかなーという方が「らしい」のかなと。
もちろん、それでリミットがフリーになる可能性は無きにしも非ずなんで、そうなったらなったで引き伸ばされたリミットを謳歌すればそれでいいわけです。

「覚悟を決める」ってのも暑苦しい響きが好きじゃなくて、「有限だからこそ、ガッツリ楽しもうよ」って方がステキなんじゃないかなと。
えっと、これはこれで暑苦しいですか、そうですか。

とりあえず、数年後に見てみたい光景が出来たんで、それを見るまではのんびり寝るのはおあずけかなーとは思ってます。
もちろん、それがどんな光景かはナイショ。

でも、アリウープは嫌いじゃない

メッセンジャーで話をしている際に気がついたのは、自分自身が本当にストレートな物言いをするということです。
世間一般のそれとは同じかどうかは分かりませんが、自分の気持ちに本当にストレートなんだなと。
良くも悪くもループシュートやスルーパスが打てないんだなと。
まぁ、周りから見たらシンカー投げたり、キラーパスを通したりしてるのかもしれませんけども。

何というのか語弊を恐れずに言ってしまえば、彼氏つきの女の子に告白せずに終わる気持ちよりは、誰にも渡したくないと連れ去ってしまう気持ちの方が何となく理解できるタイプです。
いや、例えが悪すぎて自分以外にはまったく伝わりませんね。
言うなれば自分にストレートってこんな感じですかね。うん。

ツラの皮をいくら厚くして上り詰めたところで何ら伝わるものがないのなら、地位とか名誉とか肩書きとかも大して意味ないし。
自分を押し隠して語るものに価値を見出すことがあるとすれば、それはお芝居の中だけのことだと思うし。
みんな仮面つけて生活するのが息苦しいのは分かってるはずなのに、それでもそれを続けようというのはやっぱり地位とか芝居に非現実的な魅力を感じてるからなのかなとか思ったりもして。

オレにとってはそれが不思議なんです。
たとえ芝居の上ではステキでも本音が嫌なやつの顔には賞賛の言葉よりも唾を吐きかけたいし、地位が高くても酔いどれて肩を組んで歩けない相手とは仲良くなんかできないし、もちろん嘘が多い相手は何を信じればいいのか分からないし。
現実味のない非現実なんて、ワイヤーフレームで書かれたヴァーチャル世界と何ら変わりがないんじゃないかと。
そこに妄想で色付けをするんだったら、それこそ現実的に何かを欲して動いた方がいいんじゃないかと。

その辺が変わってると言われる理由なのかもしれません。
オレにとっては普通なんですけども、…難しいですね。

アニマルプラネット

動物的と言われました。
悪い意味ではなく、そこに魅力があるという意味で。

動物的と言われますが、オレだって社会的地位や世間体を意識しないわけではありません。
ただそれよりも優先すべき事項が、オレにはあるというだけのことで、他の人たちとだって大きな差異があるわけじゃないわけです。
きっと、本来は禁忌とされていることを禁忌とせずに過ごしてきた日々があるから、今の自分があるんだと信じています。

オレにとって姿形や地位・名誉は、あまり大きな意味を持ちません。
だってそんなものはブランドタグや紙袋の類と同じでその人の趣向を指し示してはくれても、人としての本質を示すものにはなり得ないからです。
味方なのか敵なのか、好きなのか嫌いなのか、0か1か、白か黒か、それを判断する材料はそこにはありません。
むしろ判断に必要なものを包み隠す障壁にしかならないのだとオレは信じています。

そんな姿や思考が動物的…といわれる所以なのかもしれませんね。
動物に例えられるなら、やっぱりペンギンが良いんですが、そうじゃないのは薄々気づいています。

フェノメノ

「やるからにはイチバンになりたい」
男の子だったら誰しも思うことかもしれません。
それを体現した企業に少なからず触れたことがあります。
当時はイチバンになれない事業を、2年と待たずに切り捨てていく様に嫌悪にも似た感情をもったのですが、今にして思えばそれも正しいのかなと思ったりもして。

トップスピードのストライカーにパスを出せないパサーは、ストライカーの持ち味を活かすことができないわけで、同じ速度で走れないウイングも存在価値がないわけで…。
違うチームに所属することでその能力も活かせるのであれば、語弊はありますが「切り捨てる」ことにも意味はあるのかなとか。
その企業と関わりが丸っきりない立場にいる今だからこそ吐ける台詞かもしれませんけどね。

変遷

人の生き方なんて変化してナンボだと思います。
ヤンチャしてた若造が子を持つ親になって落ち着くように、引っ込み思案だったアイツがギターを持って垢抜けたように…。
その結果を導いた経験や些細な出来事の積み重ねが大切だと信じています。
無駄なことなど一つもなくて、無駄と思えることでも自分の足跡を象る記憶の欠片になっていることを忘れてはならないのだと。

直線的に進んだ若い時期を経て、ここのところ回り道の多いオレではありますが、それぞれに長所と短所があることを実感しました。
直線的であるが故の速さや鋭さと、回り道であるが故の堅牢と狡猾なまでの策略。
そのそれぞれが組み合わさってこそのオレなんだなと。

とりあえず、速度感を失いつつある年代と肉体なので、歩む道の順序は正しすぎるくらい正しいんだと思い知らされます。
「ハイペース・マイペース・ラストスパート」のペース配分は、幼い頃のマラソン大会を思い出します。

スカル 5107XX

デニム大好きなオレですが、中でも2年半ほど前に購入したブーツカットがたまらなく好きです。

購入した当時は海外モノかヴィンテージ復刻ブームのユーズドで股下の足りる物を見つけて大喜びしていた時期だったので、国内ブランドでなおかつブーツカットなんて代物に出会えた感激は一入でした。
ブーツカットの脚長効果は未経験でしたが、試着室の鏡に映るその胡散臭い長さには感動…、いえ、むしろある種の奇形を見るような違和感がありました…。
とはいえ、穿いたことのなかったシルエットに感動したものです。

かれこれ2回のリペアを越え、心無い人が見ればボロ布の様相を呈してきたジーンズですが、シルエットも色落ち感にも文句はありません。
まさに自分好みに育ってくれたといった感じで、もっと早くに買っておけば良かったと素直に思ったくらいです。

ただ、未だにコイツの二代目を購入するに至らない理由が1つだけあります。
2年半で2回のリペアをしたにも関わらず、その後クォーターを経ずしてリペアが必要な綻びが…。
ヒゲやハチノスに拘るような無茶な穿き方はせず、それこそ愛好家には怒られそうな週1ペースで洗っているはずなんですが、なんだかオンスの重さに反比例して脆いような気がします。
これだけ何とかなればなぁってのは高望みでしょうかね…。

何はともあれ、探し回っても良いデニムが見つからなかったことを考えれば、御の字ですが。
また市場から姿を消す前に買っておいた方が良いかもしれませんな。

バ-ガーベッカム

沸々と煮えるような感覚が手指と首筋に広がって、年に1度か2度の発熱の来訪を告げました。
最初に悪寒というのが実感できる、あのガチガチと歯を震わせる寒気がやってきて、次いで筋肉の軋むような痛みが追いかけてきます。
数年来の付き合いの中で随分と冷静に見られるようになりましたが、初めて高熱に陥った時から2年ほどは、「ヤバイかも」と弱音を吐いてみたり、どうしようもない熱さに暴れてみたりと、それこそ新生児さながらでした。

さて、高熱に陥ると見えないはずのものが見えるようになります。
いわゆる幻覚というヤツなのですが、随分とハッキリとした形で視覚や聴覚を捉えてくるのですからタチが悪いです。
ただ、年に1度くらいの幻覚を媒介にするにしても、忘れずにいることはありがたいものです。

自身の足跡と、自身の記憶と、自身の夢。
忘れてしまってはあまりに寂しいものばかりですから。

島本ベイ

「弱い犬ほどよく吠える」
先人はよく言ったものです。
ただ、この言葉は実に的を射ていますが、だからといってその弱い犬に負けない人が多いわけでもありません。
いわゆる恫喝の類に代表されるように、声を荒げて大音量で話されればその意見を通す人は多いと思いますし、犬には牙もあれば爪もついてますから負けないにせよケガをすることは予想がつきます。

道を退くことなくケガをしないためには、何らかの手法を考える必要があるようです。
例えば、美味い餌とか牙や爪を通さない防護服とか、そういうものが。
場合によっては傘とか棍棒とかでも良いかもしれませんけど、防衛という大前提をずれてしまうとこちらは面倒になりますな。

あ、退くというのに近いですが、回り道という技も時には有効ですね。

人力エレベーター

人としての力量というのがあります。
もちろんその評価基準は人それぞれで、職能や地位といった社会的なものから容姿や身体能力といったもの、果ては雰囲気や直感という不明瞭なものに至るまで様々です。
何が基準として相応しいのかは分かりませんし、雰囲気・直感という目盛りのないものさしを選ぶのであれば基準という言葉も怪しいくらいです。

なので、オレ自身がそういう基準を探すときは、比較が難しいものを基準とせず、比較対象を浅くであっても広く集めます。
力量の大きさを見込んでみたところで、世間一般と比較してみたらずば抜けているとは言えず、カリスマの持つそれとでは雲泥の差がある…というのでは困ってしまうからです。

自分の基準が世間のそれとは相容れない場合もありますが、それにしても過小にせよ過大にせよ、あまりにもズレた感覚は良くないのでは?と思うような年代になってきました。
10代の自分に「守りに入ってる」と笑われてしまうかもしれませんが…、世間一般が良かれと信じる基準にはそれなりに大きい強みがあるんだと気づかされたわけです。
まぁ、自身の感性がより優れていると信じられるような事柄に関しては、どちらを優先すべきかは分かっているつもりですが。

マーシャル・ブルース・マザーズ3世

手に入れるとか、自分のものにするとか、そんな言葉が陳腐に感じるような「好き」という感情があります。
誰かの幸せを祈って自分は身を退くなんてのはええかっこしいの戯言に過ぎなくて、相手だけでなく自分も幸せになることを望んでこそ初めてそれは幸せを祈ることになるんじゃないかなって思う瞬間があります。
そんな気持ちを知らずに生きているのはすごく寂しいことですが、そんな気持ちを知らなければ寂しさを感じることもないのかもしれません。
まぁ、恋愛感情に限らず、友情や愛情といったことも含めて視野を広げれば、自己の犠牲によって成り立つものが最良ではないことに気がついてしまうものだとは思うんですけども…ね。

好きな珈琲を飲んで古い歌を聴きながら、いつかの初夏の香りを思い出してみたり。