ディカプリオ

リオって好きなんですよ。
結構マニアックな映画のファンなのに、意外とか言われちゃうことが多いんですが、彼はホントに上手いですし渋いです。
ジョニー・デップ目当てで観た「ギルバート・グレイプ」で惚れました。
仮面の男とかビーチとかはアレな匂いが強かったんですが、「太陽と月に背いて」のランボー役なんてかなり渋いですよ。
彼の評価が下がってしまったのは彼の演技の上手さを活かすことなく、人気だけで起用してきた側の人間に問題ありなんじゃないかなと思うのです。
というわけで、マトモな監督がメガホンを取った「キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン」はかなり気になるのです。
多分観にいくことはないと思いますけどねぇ。

大好きなリストランテ

久々に顔を出すと空気が変わっていた。
時間の流れは非情なもので、楽しかった時期のスタッフはもう残っていない。
エントランスをくぐった瞬間にそれが分かった。
空気が変わるということを肌で実感するのはこんな時だ。
席に案内され、それが事実であることを知る。
見たことはないけど、それなりに古株らしいおねいさんに気持ちのいい接客をしてもらい、寂しさは少しまぎれたけど、どこか物足りなさは否めない。
料理は確実に美味しくなり、キッチンスタッフのレベルは上がったと思うけど、やはりどこか飲食店は接客スタッフが誰であるかによって随分と変わっちゃうんだなぁって…。
きっとあの頃のように頻繁に通うことは出来ないから、あれくらい深いつながりを持つことは出来ないんだろうなって、少しノスタルジジイ。
帰り際、イチバン最初のマネージャが最近は回ってきてるのかと聞こうと思ったけど、気づくと言葉を飲み込んでしまっていた。
彼がオレの残り香を嗅ぎつけるようなことがあるとしたら、それだけでいい。
また会いたいけれど、それはふとした偶然であればそれがイチバン嬉しいから。

フレンチ

夕方にようやく駅前まで歩いたわけですが、途中の八百屋で明らかにコックの格好をしているオジサマを発見。
オープン当初から気にはなっていたフレンチレストランのオーナーのようで、近所の八百屋で最近の野菜の出来の傾向を尋ねていた様子。
こういうのってなんかいい。
なんだか食べにいきたい気持ちが一気に高まりました。
気取らないフレンチってホントに美味しいし楽しいから、近所に何軒かあると嬉しいと思うのですわ。
ちなみに今のところ、茅ヶ崎では「めぞんどびやん」関内では「ぼんふぁむ」というお店がお勧めです。
初めて気づいたけど、両方ともひらがななんだね。
フランス旅行は時間と費用的につらいけど、フレンチレストランなら行けそうだなと現実的にフランスに行きたい欲求をごまかす手段を考えている今日この頃。

ニーチェ

「精神など肉体の玩具にすぎず、中枢など末梢の奴隷に過ぎない」
けっこう好きな言葉です。
体があってこそ、意思は存在するっていうのがステキです。
死者の御魂という考えも好きですが、やっぱり生きていてこその意思の疎通ですし。
死者の遺したものを受け取ったり受け入れたりするのは、なかなかに難しいものです。
だから、生きている時間を大切にしたい。
お互いに笑い合える時間を大切に過ごしていきたい。
限りある時間を無駄にしないで生きていたいと思うのです。
生かされるのではなく、生きている実感を得たいと思うのです。

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チョビ役は的場浩二がやってくれると思ったのに…。

電車で化粧

久々に見たので、正直なトコかなり引きました。
ついつい「無駄な抵抗はやめなさい、お母さんは泣いてるぞ」とでも言ってやろうかと思いました。
寝不足続きでだるかったので、何も言いませんでしたけどね。
それにしても、いくら化粧で顔をごまかしたって、公共マナーすら伴わない中身ではすぐにボロが出るだろうと思うのですよ。
たしかに作り上げられた顔は、正しく「あのカリスマ」でしたけど。
そういう頭の弱いコが好きな、ちょっと頭の弱いオトコが追っかけると考えれば、まあそれはそれでアリなんでしょうが。
関係ありませんが、街中にあふれるあのメイクって怖くありませんか?
あのメイクしてるコはみんな同じ顔に見えてしまうので、てっきりクローンでも並べてあるのかと思いますわ。
話を戻します。
それなりに昼間の仕事をしているおねいさんたちより、タトゥー入れたり派手な服着てるキャバ嬢の知り合いたちの方がしっかりしてるように感じるってのは、人は見かけによらないっていうイイ例ですかねぇ…。

ジェネレーションギャップ

言葉から受けるものや見聞きした情報が大きく隔たる世代差と言うのは確かにあります。
ただ、ここで考えてもらいたいのは、違う考えがあるからこそ議論は成立するということ。
精神的に若い世代は相手の意見に納得しているつもりでも、知らず知らずのうちに相手の意見を否定して自分の主張だけを述べてしまうことが多々ありますので、そこには十分に注意していかなくてはと思います。
対極の意見であったとしても受け入れるべき余地は必ずあります。
光には必ず影が伴うことを忘れなければ、おのずとその余地が見出せると思うんですけどね。
それを見出せないくらいに幼い相手には、器量の大きい方がある程度譲歩するのも悪くはないかもしれません。
ただし、譲歩されたことにすら気づかないお子様には、譲歩の意味が薄れてしまうのが難ですけどね。

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月明けたらオフしたいです。
ほどほどに小規模で。
あぁ、やっぱり今年も年2回ペースがやっとだね…。

抱擁

強く抱きしめることで安心する。
愛おしさが込み上げるのを実感する。
強く抱きしめられると安心する。
愛されていると実感する。
泣き崩れそうなほど辛いときは、抱きしめられたいと思う。
優しいハグじゃなくて、折れそうなくらいに力強く。
人肌恋しいというわけじゃなくて、思い切り抱きしめられたいときはある。
オトコにだってね。

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刑務官。
罪悪感とか羞恥心のない人間が受刑者の管理を勤めることは、被害者遺族が受刑者の出所日を知ること以上に危険なことだと思います。
復讐心は理性によって抑えることができることもありますが、ゲーム感覚の虐待は理性による自制のできない人間の行うことですから理性の歯止めが効くはずもありません。
彼らが無罪を勝ち取ったとして、彼らが自分の行為を悔い改める姿勢を見せないのであれば、受刑者の遺族が彼らを許すことなど出来るはずがないと思います。
被告たる刑務官たちの態度を読むにあたり、久々に背筋が冷たくなりました。

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「ゴラムのどこがそんなに魅力的なんですか?」(フォームメールより)
弱い人間そのものだからです。
心の痛みを知っている人間なら、なぜ自分を責めるようにして生きてきたのか分かるはずです。
オレは完全無欠の英雄には魅力を感じません。
オレが魅力的だと考えるのは、弱さや暗い部分を持った普通の登場人物なのです。

触れる

なんだか中学・高校生くらいの頃って女の子に触れるのが怖かった・・・というのは嘘です。
オレは男前の姉貴がいたからなのか、肩に手を回したり手をつないだりっていうのが相手の性別を関係なくガキの頃から不思議と出来ていました。
なんか、姉やら妹やら歳の近い姪がいるヤツはそういうものらしいです。
女の子に嫌がられずに触る方法を天然で身につけているというかなんというかは分かりませんけども。
ちょうど高校生くらいの頃、明らかにタイミング違うだろーという触り方をするヤツが嫌われまくるのを間近で見ながら、なんでコイツはタイミングが計れないんだろうと不思議に思ってたことを思い出します。
男ばかりの中で育つとそういう感覚が芽生えなくなるのか、それとも生まれ持った感覚が消えてなくなるのかな、とふと考えてみたり。

地元の休日

見てきましたよ、指輪物語。
ようやくというか、まだ見てなかったのかよっていうか。
なんだか「ドラえもん」の封切り直後だったので、チケット売り場はお子様連れであふれてすごかったです。
ビバ、前売り券。
今回も原作を知っていても知らなくても、楽しめる内容だったのは間違いなさそうです。
ただし、いつも通り剣と魔法の世界が嫌いな人や免疫のない人にはお勧めしません。
内容についてはあえて語りません。
ただこれだけは言っておきたいのでひとつだけ。
今回の主役はアラゴルンでもフロドでもなく、誰が何と言っても「スメアゴル(ゴラム)」です。
人間(亜人間)の脆さや感情の推移による善悪の変化、人の心の美しさと醜さが絶妙に同居するアイツこそが今回の主役に間違いないです。
CGとはいえ久々の演技派に、不覚にもほろりと泣かされました。

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スーパー銭湯。
足を伸ばして風呂に入ってきましたよ。
まぁ、ジェットバスで腰に泡を当てていると、対面の壁に足がべたっとくっついちゃうんですけどね。
じゃー、伸ばせてないじゃんっていうツッコミはスルーです。
結局1時間ちょい堪能してきたんですけど、なかなかイイですね。
食事も出来るし、マッサージもあるし、行く時間によれば2時間以上でも楽しめそうな雰囲気です。
風呂の後に、寿司屋カウンターに座って「にぎり」食ってました。
うーん、まったりまったり。
映画に風呂に寿司、なんてステキな休日のスタイル。

外遊び?

パンを買いに朝から外に出たわけですよ。
ふと見ると、ちびっこたちが外で座ってなにやら話しこんでいる雰囲気。
それだけなら、昨日まで雨続きだったし今日は暖かいから外で遊んでんだなぁ~って、微笑ましい光景なんですが。
ただすごい違和感がありまして。
なんか持ってるんですよ、彼ら。
外遊びがゲームボーイってのは、時代の流れなのか…。
微妙な気分。

無意識

人間の心理の大部分が意識の領域であり、無意識とは意識に悪影響を及ぼす恐れのあるものを隠しておくところであると説いた心理学者がフロイト。
フロイトの説では「抑圧」された空間が無意識であり、ネガティブなものであると考えていたということが言えます。
ちなみにフロイトは、無意識を「Es」と称しています。
Es(エス)はドイツ語で、ラテン語ではId(イド)、英語ではit。
すなわち「それ」という意味になります。
Esは人格の暗い部分であり、その大部分は消極的性格をもっています。
Esにはいかなる論理的な思考も、時間・空間概念も、価値判断もなく、ただ快感原則とだけ緊密に結びついています。
簡単に言えば、無意識下で行う行動は自分が気持ちよければ、後はどうでもイイというコトになります。
そういう状況を避けるために意識的に、Esを抑圧して人間は生きていると。
オレはそうは思いません。
人は無意識下であっても必ずしもマイナスな行動にばかり出るわけじゃないですから。
弱さを破壊衝動に持っていく人間はパワーが余ってるんだと思います。
思い切りカラダを動かしてスッカリ疲れちゃえば、ぐっすり眠って翌日には無意識のうちに笑顔になれそうな気がするんです。
なんでこんなコトを書いてるんだろうと思うんですが、SMの話からエスって言えばとこんな心理学の話を持ってきちゃっているのが、マニアックなオレらしいっちゃオレらしい。
・・・そういえば、本性と書いて「イド」とルビをふる作家も少なくない。
それだけでも、フロイトの定義するEsがどういったニュアンスのものか多少は理解できる感はあるかもしれないですね。

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夢と現実の境って、かなり希薄なものだと思う。
たとえば、夢は自分1人だけで夢だと思ってみるから夢なのであって、世界中で同じ夢を見るようなことがあればそれは現実に起きていることと変わりがないのではないかと思うのです。
世界各地に伝わる神話がいずれもどこか似通った部分を持っているのは、同じ祖先から伝え聞いたものをリメイクしてきた結果なのではなく、同時期にまったく同じ夢を見たと考えるのはロマンチストすぎるでしょうかね。

***

ふと思ったんですけど、オレって心理学者とか精神科医になりたかったのかもしれません。
実際のところはバーカウンターでのひと時限りのカウンセラーが関の山でしょうけどね。

どんなことにも愛を持て。
愛には偉大な力がある。
君たち2人を見ているとホントにそう思う。
だからオレは君たちと友達になれたことを誇りに思うよ。
2000年の最後に、銀細工の露天商に言われた言葉。
中東出身の彼は、兵役が終わった後に世界中を銀細工を売りながら旅をして、とても気に入ったという日本に定住することを決めたという。
死と身近に接していた彼の言葉はズシリと心に重く、それでいてとても心地好かった。
すべてに愛を。
言葉にするのは簡単だけど、実行するのは難しい。
でも大切なことなのだと思う。
改めて彼の言葉を噛み締めたい。

ストリート系ファッション

平均的にカッコ良く。
中身があんまりパッとしなくてもそれなりに見れるようになるファッションだと思います。
カッコイイ人は当然カッコ良く、アレな人でもそれなりにって感じ。
キライじゃないですし、上手くコーディネイトできれば楽しいとも思います。
ただ、意味のあるもの行動をするにあたってはその意味を知って欲しいのです。
たとえば、ズボンの片方の裾を捲くるコトの意味。
人種差別の色濃く残った1980年代のアメリカで、黒人が武器を裾に隠し持っていないことを示してやっていたのであって、服従とか非暴力に通じるものがあるものだってことをね。
そして、そういうカッコをしてるからには、くだらない喧嘩やら汚い言葉遣いやらで自分の頭の悪さを露呈するなよって気がします。
ヒップホップは音楽に止まらず文化なんだって偉そうなことを言う、DJやラッパーはまずその文化をファッションとしてだけヒップホップを取り入れるガキな世代に伝えるべきだと思います。
迫害や差別の歴史を乗り越えて成立するものだってことをしっかりと受け止めた上で、カッコ良く身につけられたら最高だとは思うんですが。
なかなかに難しいものですわな。

斜め

世の中を斜に見る。
一般的には誉められる方法じゃないけど、それが必要な時もある。
斜めから見ると新たな発見があったり、見えていたけど気づかなかったものに気づいたりもする。
周りと違う視点から物事を見れば新しい物が見えてくる。
周囲より一歩先を行くには世間から悪とされるものも取り入れる必要があるってこと。
変わり者を演じるのもたまには大事だよってね。
地が変わり者の場合は自我を開放するだけでいいんだけどね。

***

あ~、忘れてた。
そろそろ今年初のプチオフも考えますかぁ。
横浜周辺のバーかなんかで。
日時は未定ですが、もうちょいあったかくなったら休前日か土曜の夜にでも。
ところで参加希望者っていますかね。

雨の匂い

懐かしい気持ちになるというのは前にも書いた。
春の雨はことのほか、小さな頃を思い出させる。
まだ物心ついたばかりのちんちくりんが、ゴム長と雨ガッパを着て黄色いカサをさして散歩。
最近そんなカッコの子供を見かけると、自分がそんなカッコで水溜りをバシャバシャと駆け回っていたことを思い出す。
彼らも何十年かしたらそんなコトを考えるのかなって思ったら、なんだか微妙な気持ちになって少し笑った。
やっぱり雨の日はキライじゃない。