うわっつら

何をすれば喜ぶのか悲しむのか、そういうことはよく分かります。
感受性が豊かだからとか言うつもりはなくて、ただ周囲よりも場数を多く踏んだ結果なわけです。
オレだから出来るというわけではなく、ただ慣れているというだけのことです。
反復練習なんて言葉は嫌いですけど、結局のところ対人面においてはそういう作業を行ってきたようです。
結果として身につけた能力は必ずしもプラスに働くものではありませんけど、底の浅い関係を素早く築くのと、その後で本当に深くつながれるか否かを判断するのには役立っています。

うわべだけの関係しか作れないことを嘆くこともなく、上っ面だけでも情報流通のコネクションとして利用すればいいと考えるオレの性格のなせる技かもしれませんけど、上辺だけの関係すら作れないヤツもいることを考えれば、それはそれで強みじゃないかなと思います。
何を善しとして何を悪しきとするかは、自分次第だってことを忘れちゃいけないと最近は頓にそう思います。

あの春と同じ色の花が咲いて。
あの春に似た冷たい風が吹いて。
季節が巡ったことを知りました。
あの春に誓った木の下で。
オレは相も変わらず扱いにくいガキのままです。
貴方も扱いにくい親父のままでいてくれていますか?

嶺花

憧れの存在は高嶺の花であるべきであって、決して手が届いてはいけないのだろうと思います。
偶像崇拝を否定することも肯定することもありませんが、偶像として存在する神や仏よりも実体のないものに対して、オレがより強く畏怖を覚えるのは紛れもない事実です。
同じように決して触れ合うことのないタイプの人間にこそ、オレは強く強く惹かれる傾向があるようです。
肌と肌という意味だけでなく、心と心が通じ合うことのない相手にこそ引き寄せられる気持ちも少なくはないようなのです。
救いがたい性根ではありますが、こんな所もオレらしいっちゃオレらしいのかなとか思ってみたりして…。
「らしさ」を表立たせたり、「ガキ」の振りをしてみたり、当然のようにしていたそんな行為がやりづらくなってきたこの頃に、そんなことを考えてみます。

うるさいのはいーやだ

ガキの集まる飲み屋が苦手です。
ウルサイのが嫌というよりは、オレ自身がガキであった頃にそのテの店に出入りできなかったので、彼らの心境というのが理解できないというのが第一にあります。
親のスネをかじる人間が酒を楽しめるはずがないというのがオレの信じるところですし、何より酒を飲むという行為がションベン臭いガキに似合うはずがないとオレは思うのです。
背伸びでも何でもいいから一端の顔をして一張羅に袖を通して初めて、酒って化け物とは相対することができるんじゃないかなと信じているのです。

とはいえ、高校生の時分にバカ騒ぎがほとんど出来なかった矮小なオトコのこっぱずかしい嫉妬心かもしれませんわな。
何はともあれチェーン居酒屋は苦手ですし、それに慣れることは今後ないんだろうなとふと実感させられました。

緑の日

今日はアイルランドの聖人の降誕祭。
成人の生誕と重なるこの日に生を受けた貴女の人生に花多かれと思います。
彼の地では春を告げるこの日を迎える度に、貴女がオレにとってはどんな聖人よりも神々しい存在なのだなと思います。
彼の地では街がグリーン一色に染まるこの日は、オレの心の緑がグッと濃くなる日でもありますわ。
今年もまた、お互いに良き悪友でありますように。
そして、今年の貴女がますますイイ女でありますように。

目撃ドキュン

見える人と見えない人。
世の中には2種類の人がいると思います。
霊や超常現象を目撃するとかそういうことに限らず、時間軸をもって物事を見たり、管理的視野で仕事に臨んだりするということまで含めて。
オレにとっては目に映るものや肌で感じるものこそが信じるに値するものであって、伝聞や噂だけでは如何とも信じがたいのです。
だからオレは、視野を広く深く、手や指を人よりも多く持ちたいと望みます。
見えるものが少しでも増え、触れるものが少しでも増えてくれれば、信じられるものが増えてくれることを、これまでの生活の中で、少なからず実感していますから。

今日は桃の節句なわけですよね。
桃という字を見て、「田島~、松尾~!」という所まで連想する最近のボクは、きっと病んでいるんだと思います。

ネコの日

肩書。
肩書きを欲しがる連中にはうんざりさせられる。
実際のところ、肩書きなんてものがそれをありがたがる種類の人間へのバッジに過ぎないことをオレは知っている。
実力の伴わない連中に馬鹿にされる経験は少なくなかったけど、実力でねじ伏せることが不可能ではないというのを実感としてオレは理解している。
自衛官や警察官の制服を手に入れたとして、それを着る人間に実力や人間性が伴わなければ、それはただのコスプレに過ぎない。
自分に肩書きをつけるというのが如何なる意味を持つのか、それを考えられない人間には肩書きなんてただのバッジにしかならないというのを、肩書きを求める前に考えてみる必要があるんじゃないのかと最近は思う。
そして、素手で殴り合えなくなったら「オトコ」として終わりじゃないかなというのは、粋がっていたガキの頃から変わらないオレの信条。

客観

客観視するというのがどれだけ大切なのか実感させられる。
久々に立つステージ上で、自分のスペックを使い切ることなく周囲よりもさらなる高みを目指すために何が大切なのか、それを思い出させられている。
オレ自身は主観でしかモノを見なかったのは詰襟に袖を通す前で、それ以降は一時的に頭に血を昇らせて主観的になることがあっても、トータルで見ればそれは多くはない。
なぜなら客観視している方が、色々な面で「得」であり「楽」であることを経験としてよく知っているから。
狡猾なのかもしれないけど、周囲を見て自分がどう動けば良いか考えられる想像力と、相手と自分とを置き換えられる発想力がなければ、オレの知ってるオトナの世界では通用しない。
てめえがてめえが!っていう主観しか持てないガキは、オトナの世界じゃ潰されるしかない。
もう1つか2つくらいは、眼を持たなくちゃならない。
小さな世界でチマチマやり続けるのでなければ。
背中に生えた羽を大きく広げたいのなら。

親の庇護を受けられるうちに、誰かの傘に入っていられるうちに、客観的な眼を持てるようになれなかったのなら、その庇護や傘から放り出されないようにした方がいい。
ガキのまま生き永らえたいなら。
世に溢れる「オッサン」「オバサン」になりたくないのなら。

雪花

降りしきる粉雪。
その白い輝きに重なったのは白い桜花。
あの春の風の冷たさ。
くわえた煙草の震え。
泣くことを許せずに交わした杯。
思い出す。
記憶を紡ぐ義務。
忘れずにいる権利。

オレがオレでいることために必要なことを顧みる。

立つんだけど背負うもの

誰かの上に立つって、本当に立ってるわけじゃないはず。
誰かを背負うってことが出来ていなければ、それは上に立つ資質がないということなんじゃないかなと。
上に立つのに、背負っているっていうのは矛盾しているわけだけど…。
でもいつの日にか「消えてくれ」と言い放つ日があるとして、そこで相手に恨みを抱かれない人ってのはそういうことをしているんだとオレは信じている。
少なくとも畏敬の念を持って接する相手に対して、オレはそれに似たものを感じている。
「愛されている」とか「大事にされている」とか、そこまで限定したものではないのだけど、敢えて言葉に出すとすればそういうものが、上に持ちたいとオレが心から望んだ人たちの行動や言葉の端々から感じられた。
オレなんて「負債」としての価値の方が大きいはずなのに、それを笑って背負ってくれた人がいて、笑って受け止めた相手にオレは何かを返したいと思っていた。
自分が上に立たざるを得ない状況になっていく今、彼の人たちのようにオレも誰かの負の部分も含めて背負っていきたいなと考えている。
くだらない問題に眉をひそめる阿呆の言葉など無視して、オレが背負うに足る誰かのためにフロントなり上なりに立っていこうと。

オレはオレの信じるままに。
ただオレのために。
これから先もずっと。

それが間違いかどうかなんて、棺桶に収まってからゆっくり考えればいい。

再来

またこういう気持ちをするとは思ってもいなかった。
いや正確には、そういう時が来るのは知っていたけど気づかない振りをしていた。
その瞬間を思い浮かべるだけで、自分の涙腺が緩むのを知っているから。

ただのウルサイ小娘が随分と立派に成長したと思う。
成長の過程で色々と問題やトラブルはあったけど、それはそれで糧にしてくれたんじゃないかなと思い込むことにする。
今、オレは彼女と出会えた偶然に感謝する。

そして、成長に立ち会えたことを誇りたい。
語り合ったいつかの夜を思い出しながら。

「今までありがとう、そしてこれからもよろしく」

三畳

のんびりと眺めていたローカルニュース。
朽ちた廃車と不衛生を絵に描いたような料理屋。
その見知った光景に目を奪われた。

「ドヤ」という言葉が一般的でないというのを、オレは最近まで知らなかった。

そういった街に普通に触れていたことで、異国の安宿でカルチャーショックを受けなかったのはオレの人生に少なからずプラスだろうなと最近は思う。
横浜随一の観光地の近くにそういう街があるのは知られていないし、知っていたとしてもその貧民街という匂いを嗅いでまで近づくのは必ずしも多数ではない。

排他的で家庭的なドヤ街のオヤジども。
二律背反したその雰囲気がオレは好きだった。
今また踏み入れろと言われたら躊躇するかもしれないし、嬉々として飛び込むのかもしれない。

でもこれだけは胸を張って言える。
「オレを構成するパーツのいくらかは、そういう街で拾った」んだってね。
だから今夜はかつてオレを支えてくれたクソジジイどもの顔を思い浮かべながら、そっと乾杯とつぶやく。

予備軍

初老の友人がいます。
年齢差にしてみれば親子ほどの違いがありますが、親世代に対して周囲が必ずするいわゆる「距離を置いた対応」をオレはしたことがありません。
友人が実父よりも一回り以上若いせいかもしれませんし、オレがただの礼儀知らずなだけかもしれません。
彼はそういったオレの態度を不快に思うことはなく、少なくとも不快があってもそれを口にしたり態度に出したりすることはなく、五分の友人として笑って接してくれます。
こういうのって、素直にカッコイイなと思います。

オレの実父は下戸なので親子で酒を酌んだ経験は、実母としかありません。
でも親父と成人した息子のイイ感じの対話ってこんな感じなんだろうなと思います。
オレもいつの日にか、今のオレらみたいな不良中年予備軍とこうやって酒を酌み交わしながら、こんな風に思ってもらえるようなオヤジになりたいなと、心の底から思います。
月に数えるほども会うことのないオレに対して、笑って語り合ってくれる年上の友人が常にいることに感謝。

新・人に成る日

なぜ痛みや傷を持つヤツがオレに心を開くのか知っている。
彼らは自分の持つ傷や痛みよりも、さらに大きな傷や痛みを持つ相手やそれを乗り越えた相手に、対処法を求めようと望むから。
かつてのオレが同じだったように。
でも、オレは自分自身の持つそれへの対処法がないことを知っている。
共存していくしかないことを知りながら、オレに救いを見出そうとする彼らに嘘をつく。
いつか癒える時が来ると。
自分自身の傷と痛みを堪えながら、それでも嘘をつき続ける。
嘘が真実になることを祈りながら。
オレにはそれがないことを知りながら。

年明け早々Tシャツのデザインをしてみました。

あけました

あけましておめでとうございます。
今年も例年のごとく、飲んだくれつつ新年を迎えました。
ちょろっと違うのは仕事をちょこっとだけしたのと、新年早々イケメンから電話がかかってきたことぐらいでしょうか。
新年早々にステキな野郎から電話が来るのが嬉しいというのは実感しました。
うん、素直に嬉しかったよ。

今年も色々とやらかしたりするとは思いますが、どうぞ皆さんお手柔らかに。
とにかく今年も派手に乾杯するぞと誓うのであります。
去年お世話になった方々、そして今年お世話になる方々によろしくお願いいたします。
いっぱい乾杯したいなと思う年明け直後ですわ。