新年イヴ

今年も色々とやってきましたわな。
プライベートでもオンラインでも結構デカい動きがありましたし。
ともあれ、グラスを合わせる音は年明けから年末まで嬉しい響きで、たまに飛び込んでくるメールは心をほっこりさせてくれました。
とにかく、今年つながりを持てた皆様に感謝。

ありがとうございます。
お会いできた方々に。
メールをいただいた方々に。

来年もまた、シンプルに、気まぐれに、ええかっこしいで行こうと思います。

金太クロース

橙雪。
深夜の帰り道、ふと見上げた夜空。
空に懸かるオリオン。
あの冬のそれと同じではあり得ない星たちにどこか感じた既視感。
あの日の葡萄酒の酔いはなく、あの日の場所からは随分と遠い。
オレも10歳近く年を取り、少しばかり大人に近づいたのかもしれない。
しまい込んだ誓いの指輪の銀色はちょっとくすんだ輝きに変わり、果たせないことを知りながら約束の地へ還ることを望んでいる。
冷えたベンチに腰掛けて、あの日と同じ歌を静かに口ずさんでみる。
深夜の公園には人通りもなく、見咎める者も奇異の視線を投げる者もない。
静かに歌いながら、もう1度空を見上げる。
満点の星空があの冬の橙色の雪に重なって、ふっと異国語の囁きが聞こえた気がした。
どうも夢の続きはまだ続いてるらしい。

Joyeux Noel!
オレが帰るまではゆっくりお休み。
ちょっと長い昼寝になるかもしれないけど。
きっとお前らに会いに帰るから。
そしたら、寝惚け眼で久しぶりって言ってくれ。
土に還るのはそれからでもいいだろ?

クリスマスイヴイヴ

こんくらいの更新頻度がちょうどいいのかなって感じです。
忙しいのも忘れるくらいに、仕事が楽しくて仕方がないです。
ベースから関わるって言うよりも、ベース以前から携われるってのはこういうことなんだなと。
店の新規オープン時の充実感が続くって感じですかね。
旬が過ぎるちょっと前に、季節の写真を更新しておきます。

兄追。
歳がそういう歳になったのか、物腰が柔らかくなって親しみやすくなったのか、その何れかは分かりませんが、ここのところお兄さんと慕われることが増えました。
相手が年下に限らないのが微妙なラインですけどもね。
でもきっとオレは駄目な兄さんだと思います。
少なくともオレの慕った兄貴分たちの足元にも及びません。
子供の頃に思い描いていた大人の姿と同じで、自分がなってみたらそんなに凄いものでもなかったというヤツかもしれませんけどもね。

いつか彼らに追いつきたいと望みます。
もっと高みへ。
今まで見えなかったところまで。

ノエル彗星

気づけば10日以上が過ぎてました。
サボり始めると歯止めが効きません。
生きてるのかよメールくれた方々、ありがとうございます。
わりと楽しく生きています。
乾杯の数が減るくらいのペースで忙しいですけど。
皆さんとも乾杯したいところですね。

トブヨウニ

「生殺与奪の権利なんて得るものじゃないな」とつぶやいたのは10代の頃だったか。
自分が成長しきらない以上は、誰かを成長させることなんかできないと思い込んでいたあの頃。
ガキならではの考え方だったなと、今振り返ればそう思える。
実際のところ、成長を諦めた人間には、誰かを成長させることなんかできやしない。
大切な部分で共感できなければ、必要とされることはありえない。
子と対等に話す親が慕われ、一緒に伸びていこうという意志が互いをつなぐように。
同じベクトルでなくてもかまわない。
常に先を目指し、いつしかオレを食ってしまうようなそんな尊敬に値する仲間が欲しい。
オレの周りにいる曲者たちにも負けないくらいに、アクの強いそれでいて賢いヤツに出会いたいと、今オレは願う。

有言実行の1年間連続更新から丸1年。
気づけば、ズルズルと2年間連続更新をしていたようです。
まぁ、ズルズルというのは嘘で、終盤は2年をラインにしようと無理矢理にでも更新していた気がします。
ここらでのんびりペースに戻そうかと思います。

自還

輪廻転生というヤツでしょうか。
最初に立った舞台に戻ってきたような気分です。
少しばかり、次の舞台で身につけた衣装や技術を伴ってはいますけども。
カッコも年齢も違いますが、立場としては帰ってきたなという実感があります。
こういう立場が嫌で嫌で仕方がなかったあの頃から、しばらく時間が経ってみてオレ自身が変われたのかどうかは分かりません。
しかしながら、あそこまでの嫌悪感を覚える瞬間は今のところありません。
ただ、それはオレの成長の賜物というわけではなく、きっと支えてくれる人たちの質の違いなんじゃないかなと思います。
とりあえずは、帰ってきてみてこういう感想を持てたことにまず感謝。

在意

適材適所なんて言葉があります。
あまり好きな言葉じゃありませんが、それでも感じるところは少なくはありません。
誰しも活躍の場があるという意味があるのだと考えれば、ステキな言葉なんじゃないかなとか。
とりあえず、適所と思われる位置につけても、不満がやまない、あまつさえフェードアウトにすらなりかねないヤツってのはいかがなものなんでしょうかね。
温室育ちは本当に扱いにくいと実感するこの頃です。
まぁ、扇動するだけなら簡単なんですけども。
地力の身につかないやり口はオレの望むところじゃありませんのでね。

気信

それなりにのんびりと生きているタイプです。
気負わず背負わず、マイペースが信条です。
でも、気合ってのを信じてます。
心が折れるか折れないかってのが、物事の成否を分けるって本気で思います。
気合を入れれば、とりあえず病は軽減するし、仕事の能率だって多少は上がります。
猪木の闘魂注入なんてのも、結構効果があるものなんじゃないかなとか最近は思いますね。
もっとも、ベースとなる力量がなければならないというのは大前提なんですけども…。
とにかく、仏を彫っても魂を入れなきゃダメなんだと思ってます。
気持ちが入らないヤツは何をやっても大成するわきゃないよなぁなんて。

嫌役

いわゆるお役所仕事が嫌いです。
お役所勤めの知人や友達がいないわけじゃありませんし、そういう人とプライベートで会ってみれば、お役所仕事的な行動をすることは稀だというのは知ってはいます。
でも、ビジネスで付き合うとすれば、出来れば御免被りたいタイプの人間だと思います。

マニュアル通りの対応や自分が絶対的に上に立っていると勘違いしているタイプの人とは、10代の半ばくらいから触れ合う機会は多かったんですけど、どうにも馴染めないというか生理的に受けつけなかったのです。
尊敬されるには尊敬するだけの器量が必要ですし、その器量をオレらに見せるためには雲の上でふんぞり返ってるだけじゃダメな気がします。
地上を這いずる相手に対しては、やっぱり同じ土俵に立ってそこでマニュアル通りではなく、しっかりとした自分というものを見せてもらわないと、尊敬とか信頼とかそういうものは得られないんじゃないかなとか。

メグリアイ

巡り合わせって法則があるような気がします。
オレの友人や同僚に関してだけですけども。
小学生の頃からどこか共通するものがあります。
好きなスポーツ、名前のイニシアル、容姿や雰囲気、留学先など…。
何だかウマが合うから仲良くなったので、共通性があるのは当然といえば当然なわけですけど。
それにしても、これが自分の人生の中で幾度も繰り返されているとなると、どこか運命的なものを感じざるを得ないような気もします。
「縁」って、こういうものを含めて言うんでしょうか。

終限

物事には必ず終わりがあります。
有限だからこそ何らかの価値があるのだとよく言いますし、オレ自身もその意見を否定する理由はどこにもありません。
しかしながら、果たして終わりや限りなんて本当にあるものなのでしょうか。
ゼノンのパラドックスでは、アキレスはいくら走っても亀に追いつけないことになっています。
2つの点の間には無限の点が存在するからだという、それはもうガキの屁理屈みたいな説ですが、オレはこういうタイプの逆説というのが嫌いではありません。
むしろ好きです。
有限やリミットがあることの方が世の中にはあふれていますけど、オレはこの逆説を体現する何かを見つけ出したいとどこかで思ってしまうことがあります。

「無限の住人」の背表紙を見かけて、そんなことを考えたなんてのはここだけの話です。

美しい昔

過去はどんどん美しくなります。
抱えている時間が長ければ長いほどに、美化され続けていくと思うのです。
それは決して悪いことではありませんが、今現在の世界の何よりも美しくなってしまうのであれば、それは良いこととは言えないはずです。
幻のような過去を追いかけることで、目の前にある何かを見落としてしまうのは、大きな損失に他ならないと思うのです。
古きを温め新しきを知るという言葉があるように、過去を貴ぶことは大切ですけども、過去に依存することはそれと似ているようでまったく違うものであると、オレは考えてしまうのです。

嘘動

結局のところ、偽善なわけですよ。

その運命の全てを背負い込むことなど出来るはずもないと知りながら、救いの手に似て非なるものを差し出そうと試みてしまうのです。
それがいかに残酷で軽率な行動であるかは理解しつつも、手を伸ばさずにはいられないのです。
たとえ無為に終わろうとも、何らかの行動を起こしたいと望んでしまうのです。

お互いに何一つ残らないかもしれませんし、場合によっては負の感情しか生まれないかもしれません。
でも、それでも雨に打たれてさまよう子犬を見て見ぬ振りするような感情はオレにはありません。

偽善であっても気まぐれであっても、手を差し伸べる気持ちを忘れない阿呆であり続けたいと俺は思います。

不常

常識が常識ではないことに気がつきます。
常識だと思い込んでいたものが、集団の良識に過ぎなかったことに。

真実を知ることが必ずしもいいことではありませんが、確実に視野はグッと広がります。
これは斜に構えたりすることで、見えないものも見えてくるという持論につながります。

だからこそ、自分では行き着くことのできない場所へ到達している、偏屈な頑固爺やちょっと毛色の違う人の意見を大切にしたいと思うのです。
違う所からの視点を自身に持つことがかなわないのなら、他者のそれを借りて代替するのは決して間違ってはいないんじゃないかなと。

似口

今にして思えば、オレに勉強を教えてくれていた人は苦労していたと思います。
無能を低能に押し上げるだけでも大変なのに、それなりに使えるレベルまで育ててくれましたから。
でも、その一方でモチベーションを上げることのできた野心家のオレというのは、扱いがそれほど難しくは無かったのかもとも思います。

いざ自分が教える立場になってみると、教わる側がノリ気じゃなかったり及び腰だったして、オレみたいな低能でもないのにやろうとしないことが多々あります。
能力を高めることより、モチベーションを高めるのがいかに難しく大変なのか、オレは立場が逆転するまで気がつかなかったようです。

それにしてもいかにソノ気にさせるか大事だっていうのは、女を口説くのと変わりゃしませんわな。
分かってるけどなかなか実行に移せない、あるいは成功に結びつかないのもそれに似てますかね。
何にせよ、男性恐怖症のコを口説く気持ちで頑張らなきゃなと思うわけです。