返礼

生き残ったヤツには、「生きる義務」があります。
先に行ってしまった彼らの記憶を紡ぎ、語り継ぐ義務が。

記憶をつなぐ。
それが彼らを失くさないための唯一の手段だと知っています。
それが彼らに何かを返せる、数少ない方法だと。

メモリー

機種変更をしてバラけたアドレス帳を整理していると、いくつも閉店した店の番号が見つかりました。

普段メモリーに入れることのないオレが携帯に刻んだ店たちは、世間の評価は分かりませんがオレの中では周囲に立ち並ぶ店とは別格です。
どの店名を見てもその店に通い詰めた時期の店の空気を思い出すことが出来ます。
料理の香り、スタッフの表情、常連客の話し声までも。

ただ、今電話をかけたところで、その店につながることは2度とないことをオレは知っています。
かぶりを振ってメモリー削除をしようとしましたが、なぜか途中で手が止まりました。
決してかけることのない番号はどこかお守りのようで、大切にしなくちゃいけないような気がしたのです。

名前

名前を掲げるには覚悟が要ります。
一族としての姓、店員としての屋号、社員としての社名、…それと似て非なる全てのものに。

そこにあるのは先人の培った経験や栄光や信頼といったもの。
自分が持ち込めるものとは比較にならない大きな価値や力のあるもの。
その名に誇りや恐れを感じられないのであれば、それを掲げる資格はありません。
不信心で非礼を自認するオレですらそんなことは分かっています。

分かっていてなおそれを否定するのであればそれは無頼漢を示した結果なのでしょうが、それを分からずに否定するのは赤子が無意識にする「いやいや」の動作と大差ありません。

オレはそんな輩には声を大にして伝えたいのです。
大きな名を受け継ぐのであれば、それがどんな悪名であれそれ相応以上の覚悟と狂気を持て。
非凡で成し得ないものを成し遂げた名を受け継ぐのであれば、凡才は狂気を持たずに臨むべきはないと。
かつてオレが重圧を受け止めたように、そうあって欲しいのです。

「おかしい」と言われるのを賛辞と出来ないのであれば、牛後となるも鶏口となるべからず。
おかしなコの戯言です。

お父さん

父親に対する畏怖というのは随分と長いこと感じていません。
時間や距離を置いたことで、好々爺としての父としか向かい合わなくなったからかもしれません。
とはいえ、こわい相手であることには変わりはないんですけどね。
色々な意味で。

オレはいわゆる「使いづらいタイプの子」だと言われています。
良くも悪くも「人を見る」ことに長けているせいだと言われることがほとんどです。
同世代の人よりも多くの人間と関わっていることは間違いなく、その全てに深く関わるわけでもなくある程度切り分けてきたことも間違いないです。

馬に例えれば、オレは乗り手を選ぶ「暴れ馬」なのだろうと思います。
自分の信じるに値する相手でなければ背に負うことも、それどころか寄り添って歩くこともまずありえない、そういうタイプの嫌な馬なのだろうと。

そんなオレにも守りたいと信じる人がいます。
それがたまたま年長者であり、「父」に近い空気をまとっているから、オレは彼を「お父さん」と呼びます。
媚びるでも称えるでもなく、ただその呼称だけが彼には相応しいとオレは思うから。

ウニT・2008バージョン

そろそろ草稿を固めようかと思ってます。
例年なら発注してる時期ですしね。

今年は再販した紫星とは異なるコンセプトで考えてますので、昨年のテイストが好きな人にはちょっと毛色が違うかなぁと思われるかもしれません。
カッコイイデザインであれば、今の感覚で行くと間違いなく昨年のそれを越えられないので、今年はアンチクールな感覚でいきたいなとか。
まだ確定はしませんけどもね。

しかしながら、振り返ればテーマもプリントも統一感ないですねぇ…。

04年 黒星 another One
05年 赤星 バーコード
06年 黄星 アンチリサイクルマーク
07年 紫星 クラウン&サーベル

ザ恋愛インタビュアー

久々にハニホーで遊んでました。
10年くらい前のガチャピンのバッタモンみたいなトップが好きでした。

*********************

ザ恋愛インタビュアー
早速 秋 さんについて1000人にインタビューしてきました。

総合イメージ
1位 女性に優しい 626票
2位 おじいちゃんみたい 91票
3位 ジタバタしない 90票
4位 生命力が強い 90票
5位 余裕がある 90票

こんな恋愛をしてそう BEST3
Details »

耳栓

カナル式のヘッドホンが断線しました。
細くて絡みやすいコードなだけに注意しなきゃいけなかったんですが…。
それでも使った月日を考えれば経年劣化での破損というヤツでしょうかね。

仕方がないので、手元にあったいわゆるヘッドホンな形のもので試聴してみたんですが、耳栓型の彼に比べると音が薄い気がして仕方ないです。
密閉感が違うせいなのか、低音が響かないせいなのか、それとも単純に耳に当たる感覚が違うだけなのか。

原因はちょっと分かりませんが、早急にヘッドホンの購入は必要なようです。
耳栓のない電車内は正直しんどいです。

追伸:
実はこのサイトの写真ってクリックすると拡大したりします。
知ってました?

猫の日の気分

オレ自身、上長として部下として、自分の匂いを絶ってまで演じることはまずありません。
どれだけ厚化粧の演技をしてみても、どこかにオレ自身のらしさを醸してしまうのです。
個性の強さゆえなのか、演ずる力が弱いだけなのかは分かりませんが、それを失することは難しいらしいです。
それを、「らしさ」と笑って言えるうちは救われることもあるのかなと思います。

上長らしくない上長。
部下らしからぬ部下。
でも、オレらしいオレ。

それが良いのか悪いのかはオレにとっては重要ではないのかもしれません。

衣替え

脳が冷えるタイミングと装いを変えたくなるタイミングは重なることが多いようです。
かつてラインの入ったスーツからシックなスーツへ着替えた時も、スーツを脱ぎ捨ててデニムに革ジャンを羽織った時も、それぞれにキンと冷えた感覚がどこかに存在していました。
今再びスーツに袖を通すとして、それは自分を更なる高みへ押し上げようとする以外の何物でもありません。

オレの戦闘服はやっぱりそれで。
主戦場にいるのはどこか変わった目の色をした人たちで。

結局のところ、生まれた場所が帰る場所なのかもしれません。
一般的に染まれず、かといって自分とは異なるドロップアウトにも染まれず、やはり似た色を持つ場所へ帰っていくのかなと。

それがオレらしさと言ってしまえば、それはそれで正しいような気がします。
シックなダークスーツにノータイでオレを思い浮かべてくれる方の多いことを祈りたいと思います。

透明に近い色

透き通る色。
きっと終わりの瞬間はそんな気持ちになる。
すぅっと何も彼もが見透かせるような、見透かされるような、そんな気持ちに。

卒業式に嫌な奴が良い奴に見える。
別れた途端に彼氏の行動の意図を理解する。
亡くしてはじめて親の有難みに気付く。
うん、きっとそういうのに似てる。

オレ自身は世界の終わりは臨めないけど、きっとそこにはこんな気持ちが溢れてる。
きっとね。

だからオレは何かを刻みたいと願う。
海に、空に、風に、雲に、土に、花に、時に、人に。

その瞬間の気持ちに後悔のないように。
ないように。

夢不為

鶏口牛後ではないですが、回り道はありつつもそんな感じできてみて分かっていることがあります。
仕事は決して夢で成り立つものではないということ。
あくまでもそこには先人たちが作り上げてきた構図やモデルがあり、それを打ち崩してしまって成功する例は稀有であるという事実をオレは知っています。
それでもなお夢と希望だけを持って臨むのであれば何もかけるべき言葉をオレは持ちません。
何より、その狂気じみた覚悟こそがオレの持ち得なかった成功の秘訣である可能性を、決して否定できはしないのです。
熱くない人間と楽しく仕事は出来ませんが、熱いだけの人間と仕事の成功を分かつこともきっと出来ません。
一時期の熱さや勢いを失くしたオレに出来るのは、熱いヤツらにそれなりの武器や道を示すことなんじゃないかなと最近は頓にそう思うのです。

忘却

過ぎた時間を思えば、やり残したことや置き忘れたものが多々あります。
オレのしてきたことの大部分は正しいことばかりではなく、ましてや誇れるものでもありません。
しかしながら、生を受けてから30余年の時を経て自分と向き合う時間を見つけました。
赦されることは望みませんが、罪ですら受け入れるべきことだと理解しました。
呑み込み嚥下しそれを自らの血肉として、初めて進むべき道が示されるものだと。

ただ、自身の死を間近に感じなければこんな気持ちを抱けなかったことに、少しばかりの恥ずかしさを覚えてみたり。
昨年感じた死神の掌は今までの中でイチバン小さいものでしたが、針の先のようなその指先で確実に胸を抉り、その爪をしっかりと残していきました。

光、風、花、街、人、温度、時間…。
そのすべてを大切にしていけますように。

新年イヴ

今年は内容も加速度も超ド級でした。
よくも体と心がついてきてるなと、我がことながら感心です。
何はともあれ、そんな中でもつながっていてくれた全ての事柄と友人たちに感謝。

ありがとうございます。
ハグを交わした貴方に。
お会いできた貴方に。
メールをいただいた貴方に。
そして、まだ見ぬ貴方に。

来年もまた、シンプルに、気まぐれに、ええかっこしいで行こうと思います。

同点

個々人ごとに立ち位置は異なっていて、どれだけ似通った双生児であってもそれを同じくすることはありません。
ただ、生まれ落ちた始点から、眠りにつくまでの終点へとスッと引いた線が交わる時間というのは少なからずあるはずですだと思うのです。

その個々人が始点から終点に引く線は、人によっては長く曲がりくねったものでしょう、人によっては短い直線かもしれません。
オレはその後者の一例で、終点までは多分このまままっすぐで、そしてそれほど長い線を描くことはないと思います。
だからこそ、同じ場所にいたなと、同じ時間を過ごしたなとそう言える仲間を大切にしたいと、強く強く望むのだろうと。
マシュマロ珈琲を片手に、薄ぼんやりとした意識でそんなことを思うのです。

胎動

母の鼓動を聞いてから30年と少し経ちます。
自分の鼓動も聞き飽きた最近ですが、その旋律がどうもリズミカルなものに変わっていることに気がつきました。
ちょっと気づくのが遅れたかもしれませんが、まだ間に合うだろうって希望的観測で真剣に調べてみようかなと思います。
随分と落ち着いているのは達観とか諦めとかじゃなく、かといって現実味がないわけでもなくて、ただただ新しいものに触れるのがちょっと楽しいからに他なりません。

うん、病的な感じがしますね。
それじゃ、行ってきます。