元・体育の日

穿穴。
穴を穿つのは言葉ではありません。
穴を穿つのは武器ではありません。
穴を穿つのは雰囲気です。
穴を穿つのは気持ちです。
知っている人は生れ落ちてすぐに知っています。
気づかない人は生涯気がつくことはありません。
ほんの少しだけ目を凝らせば見えるもの、ほんのちょっとした拍子に気がつけるなんてことはないもの。
でもそれが生むのは、決定的な差。

それが生むのは、決定的な差。

我写

写真を載せることを休んでいます。
止めたと言い切らないのは、また載せたくなった時のための言い訳なのか、それともまた載せようという決意なのか、オレにもよく分かりません。
ただ、普通にシャッターを切ってはいます。
頻度も質も、実にオレらしいマイペースとクオリティで。
我ながら自分らしさというヤツを感じています。
写真の更新頻度を上げようとして設置したブログはあまり意味がなかったなと思いつつ、それでも撤去する気持ちにはなりません。
自分の知る放置された空き地というのを、このバーチャルな世界にも欲しているせいかもしれません。

その空き地に、オレはまたきっと写真を載せるでしょう。
稚拙な文章よりも雄弁に語るその瞬間たちを。
その日が来るまでは、のんびりと休んでみようと思います。

誇示

自分が優れているとは思いませんし、特筆すべき技能や能力を持ち合わせているわけでもありません。
むしろ、オレは一般より劣る部分が多い人間ではありますが、自分を卑下するような真似はできません。
どれだけ蔑まれようと、どれだけ無力を痛感させられようとも、オレは自分を見捨てようとは思えません。
ただひたすらに誇れる自分を目指していくほかに、道を選ぼうとは思えないのです。

オレを必要としてくれた人たち、オレを誇りと言ってくれた人たちの名に恥じないように。
彼らを大切に思うように、彼らが大切にしてくれたオレを大切に思いたいのです。

無二

企画やプレゼンやデザインなんてのは、オーダーメイドでなければなりません。
作り置きのできる種類のものは、結局のところ「その程度」を求める相手しか納得させることはできないのだと思います。

ランチに美味いものを求めずにただ食欲を満たすためだけに、工業製品のような牛丼やファーストフードを食べる種類の人であれば、その欲求と合致することもあるかもしれません。

しかしながら、それ以上を求める種類の人間、いわゆる企画を精査する一般的なレベルの人であれば、そういった吊るしのスーツのような類の企画では満足できるはずもなく、もっと拘りのあるオーダースーツのような企画を求めるに違いありません。

結局のところ、人同士のつながりなんてのは「One x One」でなければ、深い所で成立するわけなどないんじゃないかなと思う、今日この頃です。

武器を取る

武器や盾を持つというのは重要な意味を持つと思います。
その武具は、資格という形であったり人という形であったり、はたまた実力そのものであったりするわけですが、それのもたらす自信や余裕は、その何れであってもそうそう変わらないものでしょう。

不得手としているものへの忌避の気持ちや障害が、それで少しでも薄れてくれるのであれば、その武具が本来の意味を為すことがなくともアリなのかなと思う次第です。
ただ、忘れちゃいけないのは、その武具を身に着けることで自分が大きくなったり強くなったりするわけではないってことです。

そんなくだらない勘違いは、近いうちに我が身を滅ぼすに違いありません。
そこだけは勘違いしちゃいけないと、オレは強く思うのです。

seven

クリスチャンでもないので、七って数字に感じるものはありません。
それでもその数字に特別な意味を持ってこの7年間を顧みます。
時を経て、変わったものと変わらないもの。
時を経て、変えちゃいけないもの、変えなくちゃいけないもの。
ただ、それを忘れないように。
指折り数えてみようと思います。
七って数を。

14歳

チキンジョージのアレではありません。
14歳の時に身につけていたものがその後の人生の指針というかベースになる、というのを随分前に書いた気がします。
今抱えてるお嬢と何気なく話をしていて、「背とか胸とか14歳で成長止まったもん」とかいう話題になってみて、14歳ねぇ…と色々思い出したんですよね。
自分が14歳のときに何を思っていたのか、その頃に何をしてきたのか、とか色々とね。
自分としては好きな面が其処彼処にあったとは思うんですけど、普通の(とされている)人が見たら「碌な者じゃなかった」とされるんだろうなぁってのがオレ自身の率直な感想で、そんな14歳を過ごしたオレが(一般的な基準における)マトモな大人になってるわけはないんだよなぁなんて。
とりあえず、あの頃から独善的でええかっこしいなのは変わってないと思います。
多分。

傘嫌い

傘ってのが嫌いで、小雨の時には差さずに歩きます。
外を歩いているというのに、空と自分との間に屋根が架かるのがイヤなんです。
右に倣えの文化圏で奇異の眼差しを受けても、コレは譲りたくはないようです。
室内で火照った体を冷やすのには丁度良いし、何より傘で視界を悪くした人には見えないものが見えてくるのは嬉しいものです。

今朝は通い慣れた道で、初老の清掃員が仕事上がりに公衆電話で誰かと話しているのが見えました。
軽くはない労働で疲労しているはずなのに、作業帽の下から覗いているのはくしゃくしゃな笑顔で、いつの間にかオレの心までほっこりとしていました。
こういうものが見られる限りは傘は差さずに歩きたい、改めてそう思いました。

start and goal

スタートを切った瞬間ってのは人それぞれです。
その瞬間にトップスピードで走っている人もいれば、ゆっくりとはじめの1歩を踏み出す人もいて、はたまた前に進む準備から始めるような人だっています。
天賦の才がある人は当然トップスピードからスタートするでしょうし、何でも卒なくこなすタイプならその背後をはじめの1歩でトップスピードに乗って追いかけるでしょう。
競争すべき場面や事柄においては、そうやって最高のスタートを切ってゴールを目指すことは何よりも優先されることです。

ですが、ただ1つだけ確認しなければならないことがあります。
共に走る仲間が果たして自分と同じ速度で走れるかどうか、走れなかったときにその仲間をどう処遇すべきなのかということ。
同じ視線で同じドアを潜れるのがイチバンなんですが、そうできなかった時に仲間をどうするのか、はたまた自分をどう処断するべきなのか、それを考えられなければ仲間や部下を持つ資格も扱う器量もないのだとオレは考えます。

仲間を切り捨てるも良し、自分を切り捨てるも良し。
すべては自分の心次第。
ゴールして得るものとゴールできないことで得るもの、どちらを選ぶかも自分次第。

いないいないばあ

ないものねだりなんだろうと思います。
キレイなものが好きだったり、素直な人に惹かれたりっていうのは。
自分が得ることの出来ないものに光を感じるのは、やはりそういうことなんだろうと思います。
同属嫌悪なんだろうと思います。
醜いものが嫌いだったり、屈折した心に憎悪するのは。
自分の見たくない面を他者という鏡に映して見ることで、自分の矮小な部分や捻じ曲がった部分を実感させられるんだろうと思います。
そうやって決して自分と同じ人には惹かれないと信じてみたところで、矮小で歪んだ心と美しさとは違う形をした体躯の持ち主たる自身をどこかで愛してるのは否めません。
これからオレは無い物を手に入れ美しくなりたいのか、それとも無い物をそのままに今の自分を愛していくのか、一寸先のことさえ予想できないオレなので想像もつきませんが…。
ただ、何かを得るってことはどこかで何かを失うってことなんだろうなぁと、薄ぼんやりと考えてみたりします。
なぜだか初代ドラクエを思い出しながら。

電酔

酔うと電話をかけまくるのは、相も変わらないオレの悪癖です。
翌朝の二日酔いの頭と目でたどった発信履歴には、もう存在しない場所や人の番号が刻まれていました。

何処へ帰りたいわけでも、誰と会いたいわけでもないはずですが、きっとあの頃からオレの時間はあまり進んじゃいないんだろうなと思います。
でも周りが通り過ぎるには、あの頃までには少し駆け足で進んできてしまっていたようです。
周りが追いつくまでにまたオレは走り始めるのか、それとも追い抜かれてから走り出そうとするのか、はたまたもう走ることはしないのか。
その瞬間にならなければオレにすら分かりませんけど、何れの選択をしてもきっと後悔はしないという自信はあります。

根拠などありませんけど、あの時間を過ごしたことでそれに紐付く全てのことへの後悔は有り得ないと胸を張って言えるように思うんです。
なぜかは分かりませんけどもね。

多分、賢くないせいでしょう。

煙の味

オレ自身は嫌煙家ではありませんし、愛煙家でもありません。
でも、たまに嫌煙家というか喫煙者に敵意を持つ瞬間があります。
フィルターをポイ捨てされた時、歩き煙草を見かけた時、メシを前にして煙を吐き出された時、…。

歩き煙草やポイ捨てに目くじらを立てることはほぼなくなりましたし、そういうことをする人と関わりを持とうという気持ちもなくなりましたが、メシに関してはそうもいきません。
メシの後の一服が至上のものだというのは理解していますが、他の客やオレが美味いものを食べて余韻に浸っている時に、紫煙をくゆらされるのには納得がいきません。
煙の味が食事のそれに勝ることがあるとは、オレには到底思えないのですよ。

とりあえず、どれだけいい人だったり尊敬する人であったとしても、それをされてしまったら2度とお気に入りの美味しい店を紹介しようとは思いません。
店側で灰皿を用意している、そういう種類の店であったとしてもね。

メシが美味いと紹介した以上は、それを最上のルールとして扱ってほしいわけです。
オレの我侭ですけどね。

同点

同じ点に乗ることのできる存在などどこにもありません。
あらゆるものが唯一無二であり、それが模造されたものであったとしても、細かな歪みや差異が生じることは誰もが知っているはずです。
同じものを分かち合うことや共有することはとても難しく、普通の人にはそれが可能な場面など生涯に1度あるかないかだと知っています。

しかしながら、心が同調するというよりは、心に入り込める瞬間あるいは心に入り込まれる瞬間というのはある種の人間と向かい合った際には皆無ではありません。
読心術なのかブラフがたまたま当たっただけなのかは分かりませんが、考えが手に取るように分かるとか完全に考えを読まれてしまうなんてことが起こり得るというのが経験としてあります。

それが良いことなのか悪いことなのかは分かりません。
ただ、それが見えたり感じたりできる人っていうのは、少なくともそれがない人よりも深く大きく視野を持つことが出来るんじゃないかなとは思います。

狭い道

人の道を外れていたなんて言葉を軽々しく言われる場面があります。
オレらみたいな人種は、彼らの言う人の道がいかに狭いものかと驚かされるわけです。
その程度のものが人の道を外れるんだったら、オレたちは動物としての道を外れているのかなとかね。

まぁ、過去を悔いる気があるのなら勝手に悔いれば良いし、清算が必要だと思うのなら清算すりゃあ良いと思いますけどね。
ちまちました何処にでもあるような過去は、ガキが職員室の花瓶を割ったことを卒業後にまでうじうじと悩んでいるようにしか、オレには聞こえないんですよね。

少なくとも、それを長年持ち続ける神経はオレにはありません。
そうさせているのは、オレの中にあるもっと大きく深いものなのか、そもそも思い悩むという気質がないのか。
どちらにせよ、悩みを吐露した人間にはそれくらい気にすんなと笑うオレらが「奇異」に映っているに違いないんでしょうけども。

とりあえず、ちっちゃくまとまんなよと言いたいわけです。

ノンシュガー

どうにもサボり癖がついていけません。
月に3回も書いてりゃ頑張ってる方なのかも知れませんけど。
なんだかな。

甘えられる場所が減りました。
かつて甘えの場所であったバーやカフェは縁遠くなったり、あるいは年長のスタッフが去ったりして、オレの甘えの対象ではなくなってしまいました。
かつて甘やかしてくれた雰囲気は、どこかオレがそれに近しいものをしなくてはならないものに変貌してしまいました。
ほっと一息つくのではなく、誰かのその吐息を引き出す役回りを知らず知らずのうちに引き受けてしまっているようです。
それはそれで嫌なコトではないんですけども…、たまには息を抜きたいなというのが本音ではあります。
まぁ、それでも「情けは人の為ならず」でオレに返ってきてくれることを祈りつつ、今日も兄貴や親父であり続けるんだと思います。
オレがオレらしくあるために。
ええかっこしいにね。