ガキみたいなオトナになるということ。
それは大人に成り損ねるということとは違います。
大人に成り損ねたオヤジやオバハンをたまに見かけますが、あれは見ていても寂しいだけです。
ガキとしての好奇心や自分を持つという意味でのわがままな部分、そういったものを忘れずにオトナになるというのが、オレの考えるガキみたいなオトナになるということです。
オレは楽しませるためというか、自分が楽しむためにガキみたいなことをやりますし、不用意に自分を良く知らない人間からは暴言とも取れる発言をします。
ただそういうことは、相手にとってのオレ自身の位置がある程度近しい場合にだけ行うことであって、TPOを考えないということでは決してありません。
本当のバカガキではありませんから、TPOをわきまえて普段はそれなりの対応をしています。
ガキみたいなオトナになるというのは、くだらないシガラミよりも自分や仲間たちが笑い合えるコトに重きを置くということです。
「周囲の迷惑」とか「一般的には」なんて、自分の意思だけではないような鬱陶しい言葉を、話の頭に置くことで自分の責任を軽くするようなのは、大人ぶった大人に成り損ねたヤツの言い訳に過ぎないと思うのです。
「シガラミが」とか「身内・友人が」なんてイチバンしてはいけない言い訳です。
言い訳に大切な仲間を使うなんてのは、ガッコをサボりたくてもホントの理由を言い出せなかった小中学生時代で終わりにしてしまえ、とオレは言いたい。
自分の人生なんてたった1度きり、行動を起こさずに後悔するくらいなら、行動を起こして後悔してしまった方がずっといい。
自分の起こした行動で失ってしまうような、軽い付き合いの仲間たちなら結局のところいずれは離別してしまうわけで、もしもその関係を崩さないためだけに自分の意志を失ってしまうのだとしたら、それは仲間を失うことよりも恐ろしいことではないかとオレは思うのです。
今のオレにはかけがえのない仲間たちがいます。
その仲間の中には幾度となく衝突して、時には殺意を覚えたような人間も多いです。
ただ、互いに互いの考えや生き様を尊重しているからこそ、意見の食い違いや衝突が起きたのだと、冷静な頭になった今なら感じ取れます。
お互いに衝突して別離して行ったヤツらもいますけど、少しでも道を共にして衝突できたコトをオレは誇りたいです。
衝突して離れていったのは、オレにもソイツらにも自分たちなりの筋を通すだけの骨があって、信念を曲げることなく突き進んでこれたからだと思うからです。
衝突してなお傍にいてくれる仲間たち、衝突することで道を違えた仲間たち、いずれもオレの宝です。
だから、ぬるく生きてこなかった自分自身に感謝します。
だから、ガキみたいに楽しみながら、少しずつ大人になっていくオレ自身を誇ります。
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