ヒトは大人になる。
年齢を重ねるに従って、当人がいかに拒否しようとも世間は、行動や言動にオトナというものを要求するようになる。
オレは傘を差すのがキライだ。
幼い頃は意味もなく雨に濡れて走り回り、雨粒を避けられるか?なんてことを本気でやってみたり、バシャンという音と飛び散る水飛沫を楽しみに水溜りへジャンプしてみたり、後先のコトを何も考えずにただ楽しいというだけでやっていた気がする。
今でもたまにやることはあるけど、以前はその前には必ず違和感というか背徳感というか、そういう澱があった。
体が濡れて風邪をひきやしないかだとか、泥が跳ねて服が汚れてしまわないかだとか、何より周囲に変な目で見られやしないかだとか、そんなつまらない感覚。
それを持っているのが嫌だなと思ったときから、オレは赤ん坊や犬猫と同じ視点でモノを見るように心がけるようにしている。
アイツらならどう見て、どう考えて、どう感じるだろうって。
オレを見て、今を楽しんでいますよね?なんて言うヤツは、視線を少し下げてみたらいい。
ハラハラドキドキするようなコトはどこにだって転がってる。
幼い日に感じたあのドキドキは、どこにも消えちゃいない。
自分たち自身が見ないふりを決め込んでしまっているだけなんだから。
今をイチバン楽しむ方法を知っているのは「ガキ」だけど、「オトナ」は「ガキ」が大きくなっただけだとオレは信じている。
信じている。
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