自分の代わりがいないなんて、そんな大それた勘違いをすることはありません。
でも、他人が同じ方法で同じ結果を導くことが出来ない種類のことは、オレにだってあるのです。
オレのやり方は正規のものであったためしがなく、どこか不正規であったり不合理であったり不順であったりするのですが、結果として導き出されるものの質や導き出すまでの期間は、正規のそれと同等あるいは劣ることはないものと自負しています。
しかしながら、同じ方法をたどって同じ結果を導く人間と出会ったことはありません。
手塩にかけて育てたかつての部下たちの何れもが、同じ方法を辿ろうとしながらも最終的には正道に戻って行きました。
そして、いつの日もそれを寂しく思うよりも前に「正しい選択をしたのだな」と独語する自分がいました。
結局のところ、ある種の奇形であるオレと同じ道を一般的とされる人が辿る必要などないわけで、そもそも同じ道など辿れるわけがないわけです。
そう、正規でない道を歩いて正規以上の結果を生むことを欲するのであれば、オレの代わりはいません。
しかしながら、正道を辿って同等の結果をつかむことは他の誰にでも可能なわけです。
要は、仮に「丸っきり同じものを求めるのであれば代わりはいない」のですが、「同等のものを求めるのであれば代わりはあふれている」のです。
それを知っていてなお、周囲がそれを認知していてなお、唯一無二と称されたいのであれば、丸っきり同じもののいない独自性、さらにその独自性を際立たせる何らかの手法が必要なのだろうなと、街灯の遥か上で一段と明るく輝く月を見上げつつ思うのです。
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