「いつかオレのために死んでくれと言う時が来たら、喜んで死んでくれるようにお前の面倒はしっかり見るから」
そんなことを言われて育った部下がオレ以外にどれだけいたかは知りませんが、きっと両手の指の数倍はいたんじゃないかと思います。
そして、その半数くらいはその言葉どおり、命を賭すに値する上長だと思っていたんじゃないかと信じています。
オレ自身も喜んで死にはしませんが、そういう瞬間が来たら「仕方ねぇな」と受け入れたんじゃないかなと思うわけです。
残念なことにそういうシチュエーションを迎えることなく、彼の人はとっとと国替えをしてしまったんですけどもね。
オレが彼の人から学んだのは、いつかそんな状況になった際に自然と命を張ってくれる部下を持つ大切さと、それを維持する困難やカリスマといったものです。
それは決して真似て身に付くものではなく、個々の想いや雰囲気に合ったものを身にまとうより他になく、いつかオレが彼の人たちに感じたものを醸せるように色々と試行錯誤を繰り返しながら進んでいくしかない種類のものですが、それを理解することが出来ただけでも彼の人のひととなりに触れたのは大きかったなと思うのですよ。
部下に命を張ってもらう上長として恥ずかしくないことをしていたい。
かつて自分の命を賭しても「仕方ない」と照れ笑いが出来た、彼らのそれを身につけるのは随分と先でしょうが、それに近しいものを少しでも身につけられたらと最近は頓に思います。
きっと、誰かの兄になりたかった気持ちがまだ燻り続けているのです。
まだ。
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