「馴染みのお店がなくなると寂しいでしょう」
この一文にふとした違和感を覚えました。
主旨としては通い慣れたカフェやバーが閉店してしまったことを寂しいと思うということなのですが、オレ自身にとってホントに寂しい店のなくし方は別にあるなと思ったのです。
実際、愛して止まないカフェやバーの閉店には幾度も会いましたし、それがオーナーやスタッフの望んだ結果であれ望まなかった結果であれ、愛したままに別れを迎えたのはむしろ幸せだったと思うのです。
その瞬間を切り抜いた写真たちは、オレとその店の関係を雄弁に語りますし、その1枚1枚のシチュエーションをオレも好々爺さながらの優しい眼差しで話すことが出来ます。
しかしながら、かつて愛した店なりスタッフなりが変貌し、オレの意思によって足が遠退いた店に感じる寂しさと言うか切なさは全く異質のもののように思うのです。
それこそ、虚無感しか残らないとでも言うのでしょうか。
愛が深ければ深いほどに、虚脱よりもよほど酷い、ただただ真っ白な気持ちにさせられるのです。
オレがかつて愛した店に、今も常連客として通う友人もいます。
ただ、その友人たちとの関係があったとしても、その店たちのドアをくぐることはおそらくありません。
宿り木にはまっすぐ素直でありたいと望むのが信条ですから、1度離れた以上はきっとまっすぐに離れていくのだろうと思うのです。
これからもずっと。
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