自分の人生の終わりについて間近に感じたことは幾度もあります。
文学的・比喩的なものではなくて、これ以上殴られたら死んじゃうだろうなーとか、隣りのヤツの次はオレが刺されちゃうんじゃないのかなとか、そんな分かりやすい直接的な要因によって。
ちょっと前に死にかけていたことを告げられた心臓のこともあってか、ここ2年ばかりは死について間近に感じることが増えました。
本音を言うと、愛について間近というか身近に感じることを増やしたいものですが。
ただ、後どれくらいだからアレを諦めようとかそういうのはキャラクターじゃなくて、どのくらい残ってるからどれとどれから手をつければどれくらいの余裕が残るかなーという方が「らしい」のかなと。
もちろん、それでリミットがフリーになる可能性は無きにしも非ずなんで、そうなったらなったで引き伸ばされたリミットを謳歌すればそれでいいわけです。
「覚悟を決める」ってのも暑苦しい響きが好きじゃなくて、「有限だからこそ、ガッツリ楽しもうよ」って方がステキなんじゃないかなと。
えっと、これはこれで暑苦しいですか、そうですか。
とりあえず、数年後に見てみたい光景が出来たんで、それを見るまではのんびり寝るのはおあずけかなーとは思ってます。
もちろん、それがどんな光景かはナイショ。
数年後に見てみたい光景ってなんでしょう。。( ̄ー ̄)
その時やらない・言わない・伝えないで後悔するくらいなら、行っちまえ~というのがあたし。
「男みたい」と言われました・・・。
最近は男のコもそんなこと言わないですね。
個人的に、そんなことを言えない草食は受け入れられないんですが…。
見たい光景はナイショです。
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