記号としての名前というのがあります。
役所や病院で自分を指し示すための名前といえば分かりやすいでしょうか。
待合札やカルテ番号と大差ない、識別コードとしての名前は、呼ばれたところで何ら感情を動かすことはありません。
少なくともオレはそうです。
名前をちゃんと呼んでもらえることが嬉しいと感じる人は、おそらく名前を否定する環境にいた人だと思います。
芸名・源氏名であったり管理番号であったり、本来の名前を使用されずに呼ばれる人ほど、自分の名前に対する愛着は強いんじゃないかなと、オレは思うわけです。
先日の悪戯電話に嫌悪にも似た違和感があったのは、本来の読み方をしてもらえなかったからかもしれません。
あの街で本来の読み方をしないことを許すのは数えるほどで、そのいずれもが深い関わりを持つ方です。
つまり、呼び出された場所とオレとの関係もよく知っているはずで、少なくともそれが何を意味するかは知っています。
深夜にかかる時間帯にブチ切れなくて良かったなと、不可思議な読みを持つ自身の名に感謝しました。
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