忙しいというのは、心を亡くすと書きます。
実際に多忙な時期というのは、心の余裕のない時なんだと思います。
ただ、その瞬間こそ心が機能していなかったとしても、後々になって心に余裕が出たところで、多忙な時期に犯した失敗や五感から得た情報に向かい合うことに気がつきました。
つまり亡くしているわけではなく、心は閉じているだけなんじゃないかなと思ったわけです。
要は、心を閉じたいがために「忙しい」というのを言い訳にしているだけなのかなと。
亡くすことなどありはしないと知りながら、その免罪符にすがっているだけなのかなと。
オレ自身は心を自発的に閉じることがありますし、気づけば閉じたまま何年も開かない部分だってあります。
そちらに関しては開くことで自分の平常心が保てなくなるので、よほどのことがない限りはどんな相手にも開いたりはしません。
おそらく今後は墓の中まで持っていく類のものです。
墓の中まで障壁を作るべきものとそうでないもの。
その区分けをちゃんとすべきなのかもしれませんね。
少なくとも、もう準備を始めてもいい時期だと自分の名と同じ季節を再び迎えてみてそう思いました。
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