隠したものを見つけられない相手をコドモとするのはオトナのやることではありません。
自分がオトナだと言うからには、すんなり生まれ持った感性で理解できるような人間ばかりじゃないことを分かっていないはずはないでしょうから。
だから相手をコドモだと思うのなら、手を差し伸べてくれたと誤解するような行為はしてはいけません。
愛してくれると近づいた途端に、平手を食らわせられたコドモは絶望するしかないのですから。
自分が身を守る術をどうやって身につけたか思い出してみてください。
心についた傷や痛みは、インフルエンザの予防接種のようなものです。
小さな病の種があってこそ、大病を克服することが出来るんです。
温室育ちを悪し様に言うなら、部屋のドアを開け放って道を示してやればいいと思います。
自身の意思で温室を抜け出す勇気あるものは、温室の庇護なく育たざるを得なかったものは、外気に晒されて生き続けてきたものが想像するよりもずっとずっと少ないんですから。
誰しもが強く賢く生まれてくるわけじゃありません。
傷と痛みを伴って初めて見えてくるものもあるんです。
そして、浅い傷ですら恐れるものが大多数である現実を忘れてはいけません。
モチを装いましょう、正月近いですし。
それにしても、今回は事故ったりしないで欲しいものです。
身近な人たちに「お前、それはまずいだろう」と本気で心配されますので。
えっと、彼の時だってオレのせいじゃありません。
偶然って怖いのです。
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