wonder wall

壁に描かれる絵。
幼い頃のそれはスプレーで。
オトナになったそれは光の色で。

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アップロード

WEBで普通の日記のようなテキストを公開している人とお会いする時、ほとんど毎回のように感じることがあります。
なんだか「幼い」と。
まぁ、当然のことなんですけどね。
ブラウザで直接入力するヤツでもない限りは、最初にローカルで作成して自分で推敲した後にアップロードするはずですから、文章が多少なりとも大人びた印象になりますので。
何だか、普段の会話でもそういうことができるヤツが増えたらいいなと、ふと思ったんです。
言葉を発するその前に、一呼吸だけ自分の言葉が相手に与える意味を考えられたらなって。
そうすることで相手を傷つけることは少なく、相手を喜ばせることは多くできるんじゃないかななんて。

オレは感じた時にサクサク書いて終わりなので、それほど印象とかけ離れたものではないと思いますけど、周囲の感じるものは分かりませんから何とも言えません。
歯に衣を着せられるタイプの人間ではないというのはハッキリしてますけどね。

お気に入り

彼のバーのラストを祝う集いの前に寄ったコスモワールドで、お気に入りの薄いブルーレンズのサングラスが破損してしまいました。
桜木町に勤めていた頃、会社に行く気が急に失せて電車で乗り越して遊びに行った元町で、わずか漱石さん1人で購入したものです。
もう5年以上使ったので、限界といえば限界だったのでしょうけど、やはり寂しかったです。
その後、安サングラスを探してはいるんですけど、なかなかどうしてしっくり来るものがなくて…。
お気に入りのものってなくなると、あらためてその存在の大きさに驚かされますね。
いつも身近にあるものほど、その存在の大きさが見えていないものだと実感しました。
というわけで、ひっぱり熊のキラーループ系サングラスが今のヘビーローテです。
失恋したので先週末に短髪にしたアタマはやや赤毛、さらに濃い顔とあって、怖い人にしか見えないと周囲からは評判です。

さて、ブルーレンズのサングラスとロングコートを買わねば。

オンセン

自宅よりも広い部屋で眠り、普段よりよほど豪勢なメシを食らいました。
温泉でのんびりと足を伸ばし、熱海の夜を堪能しました。
たまにはこんな贅沢ものもいいものです。
アワビ尽くしのメシってのもごく稀になら悪くないです。
気付けば揚げ物のない不思議なメシでしたけど、刺身が美味しかったので良しとします。
年に1度か2度、こうやってのんびりするのってステキですね。
これから先も続けていけたら嬉しいですわ。
温泉サイコー。
日本に生まれたことを嬉しく思うと同時に感謝します。

誰と行ったか?
そんな野暮なことは聞きっこなしで。
えと、ちなみに囲ってくれるステキな愛人は随時募集中です。

***

1日早いですが、赤い薔薇を一輪貰いました。
「クサイ貴方には似合うと思って」というのは誉められたと思っても構わないんでしょうか。
何はともあれ、嬉しいものです。

熱海

つーわけで、温泉に来ているわけです。
ボクくらいの日本通になると、温泉宿のひとつやふたつの隠れ家はあるものです。(嘘)
今回訪れたのは伊豆山。
えっと、部屋に行くのに外に行くんですか?
部屋って言うか、平屋みたいなんですが?
今日ボクは「離れ」というものを知ってしまいました。
立派な大人です。

残念なことにビジター厳禁のお風呂らしく、柄入りのおじさんもお兄さんもいらっしゃいません。
龍や虎や菩薩といった美術品鑑賞が出来ないのが唯一の不満です。
まぁ、部屋に露天がついてるしここでのんびりというのもありかなといった感じですか。

未知との遭遇

多才とか言われることがあります。
嬉しいことですが、自分としては一般人が普通にできることをやってるだけのような気もするので、素直に喜べないような部分もなかったりなかったり。
考えてみりゃ嬉しいだけなんですけどね、言われた瞬間には。
例えば、昨晩は姉貴に依頼を受けたCDの曲の編集をしてたわけですが、曲の中抜きしたり途中でフェードをかけたりなんてのは、PCさえあれば他の機材なんて必要なしにきっと誰でも出来ると思うんですよ。
ちょっとだけ勉強したり、必要なソフトウェアを選定して拾ってきたりってのが面倒なだけで。
他にも、オレの得意な料理やら酒をいじることだとかも、誰にでも備わっている能力で事が足りるような気がしてならないんですよ。
バーテンダーと話をしていると、「バーテンダーなんて誰にでもできるんだよね」なんて話になったりしてね。
あ、当然コンベとかで入賞するような人たちは別ですけど、オレらの言うバーテンダーはNBAとかそういうの関係なしに、客を楽しませて自分も楽しめる酒をサーブする人間のことですから。
なんていうのか、形から入ってしまったり、未知への恐怖感が色々なことの邪魔をしているんじゃないかなと思う今日この頃です。

「写真なんてカメラと目と指が1つずつあれば撮れるんだよ」
そう言って笑ってたカメラマンを何だか強く思い出しました。
彼の人のように肩の力を抜いてさらりとそんなことを言ってみたいものです。

タイセツ

何を以って大切とするのか決めるのは自分自身。
わがままを突き通そうとするオレだって、自分自身の利益だけが大切なわけじゃない。
自分の手元に残るものより、その瞬間の誰かの笑顔が大切に思えたりもするわけで。
その瞬間を心に刻み込める幸せを感じたかっりもするんです。
好きだとか、愛してるとか、そういう言葉よりもずっと、誰かが笑ってくれることで救われることもあるんです。
吐き出せない感情なら、ハグする腕に伝えて。
流せない涙なら、接吻交わす唇を震わせて。
1人じゃ笑い足りない幸せなら、傍らで声を合わせて笑わせて。
オレにとってはそういうことが大切なんです。
そんなキレイゴトが、他のどんなものよりも大切だと思えるものなんです。

ターンテーブル

好きです。
最近ではめっきりですけど、DJとかダンサー絡みの知り合いが多かった時期は、クラブにもこそこそくっついて行ったりしてましたし。
DJが好きなLPは3枚以上買うなんてその頃初めて知りましたね。
2枚はゴリゴリ擦って、1枚は保存用で針を落とすこともほとんどないなんて、見た目が派手派手しいヤツらとは思えない繊細さに感心してみたものです。
でも急速に高まったクラブ熱だけにしぼんでいくのも早かったようで、最後に日本で行ったロゴスでは、バースペースで飲んだくれてた記憶しかありません。
まぁ今でもクラブ系の音は好きですから、そのテの音が流れるバーはキライじゃありませんし、家聴きもしますけど、自ら率先してクラブを目指そうという気はありませんね。
アナログ盤も好きなヤツにそのままあげてしまったりして手元には残ってないし、ターンテーブルを触ることもないんだろうなと思ってたら、ありましたよ「地雷」が。
CDJ-800。
なんかCDをスクラッチできるマシンらしいのです。
で、ヤフオクで検索したら8万くらい。
なんつーのか、大人の玩具だねぇ…。
今回は熱を上げることもなく冷めていくようです。

うん、それだけ出すなら長い波乗り板か原付買うね。

境界線

「お前もあん中に入りたいだろう?」
記憶にある限りじゃ、彼にそう言われたのは最初で最後だ。
喜んで中に入っても良かったけど、オレは笑って断ることにした。
カウンターはオレにとっての境界線。
その中から出るコトを選んだときから、その中に戻ろうなんて考えることはやめにした。
入るときに望んだ意識以上に、出るときに刻んだ意識はより強く濃いものにしたつもりだから。
結局のところ、彼と同じ道を歩むことも同じ位置に立つこともなかったわけだけど、それで良かったと実のところホッとしている。
彼を上に持つにはオレには問題が多いし、オレを下に持つのにも彼には問題が多いから、上手くいくとはどう考えても思えないから。
カウンターっていう一枚板を挟んで向かい合う、そんな距離感がちょうどいい。
たとえ表面上にその板はなくとも、彼とオレとの間にはそういうものがこれから先もあり続けるのだと思う。
違う世界に立っている、そう実感させてくれる距離をこれから先も失いたくないとオレは願う。
あの境界線を忘れることなく心に刻みたいと。
あの古ぼけた一枚板をいつまでも。

類友

もう2度と揃うことのないであろうメンツで飲みながら、ふと気づいてしまいました。
なんかこの店の常連ってみんな水っぽい。
イイ男もイイ女もいれば、そうでもないヤツらもいます。
でもどこに目をやっても、良くも悪くも水っぽい。
夜の商売をやってるヤツらは当然のこととして、DTPやってるおねいさん、主夫のお兄さん、坊主の兄ちゃん、そのどの顔もどこかしら遊んでる雰囲気が小気味よかったです。
結局、そっち側の人間が集まる店だったんだなって妙に納得しました。
それにしても、入れ替わりで50人足らずのメンツの中に180センチ以上のヤツが3人もいれば、それはそれでスタンダードなんじゃないかなぁと思ってみたいんですが、どうなんでしょう。
類は友を呼んだわけでしょうかね、やっぱり。

日付が変わる前から、普通の人なら赤面するような下ネタトーク。
居合わせたお兄さんは照れ笑いが止まらず、泥酔したおねいさんもでれでれと赤面するというのに、長身ブラザーズ(弟・オレ)は顔色ひとつ変えません。
なんだかこの人と似ているというのが普通に納得できるようになってきた、この頃です。
いえ、中身が似てるといわれるのはかなり嬉しくないんですが。
外観はカッコイイ(でも悪人面)兄さんに少しでも似ればイイと本気で思うんですけどねぇ。

ありがとう

懐かしい顔。
新しい顔。

小気味良い毒。
楽しい時間。

この店を、この人たちを愛してる。
何処よりも、誰よりも。
深く深く。
そういう店に出会えたオレに感謝、みんなに感謝。
オレの人生に感謝。

元・体育の日

昨日は職場の飲みだったんですが。
ほとんどのメンツが翌日仕事だっていうのにみんなよく飲むもんです。
みんな焼酎ボトル空けすぎ。
いくら、飲み放題だからって元取ろうなんてビンボくさいことやらなくていいから。
まぁそんなはずもなく、そういうのがこの職場の普段のペースだっていうのが怖いです、ボクは。
ちなみに、一人称をボクにする時は、Jinに言わせればかなり胡散臭いらしいです。
それで二次会が久々にカラオケだったんですよ。
あんだけ飲んでれば当然のごとく、既に泥酔状態の人が何人かおられるわけです。
二次会に参加するメンツなんて、タチの悪い酔い方をされる方がほとんどなわけですよ。
歌いましたよ、ええ。
壊れた人に合わせてイエモンをシャウトしましたよ。
復活しねぇかなって気持ちがふつふつと高まって、帰ったら収納からイエモンのCD出そうかななんて思いましたわ。
まぁ、帰るまでにそんな気持ちはクールダウンしたんですけどね。
そして、歌上手すぎる兄貴分に誘われるままに、鬼束ちひろと露崎春女(現:Lyrico)を歌いましたよ。
うん、普通にムリ。
上手い人の歌は部屋で体育座りでもしながら聴くのに限るね。
そうそう、エアロスミスを入れておいて、放置気味に帰途に着いたのは忘れてください。
というわけで、今週は平均3時間睡眠のオレはますますヘロヘロになっているのであります。

***

そして、例のバーの閉店がまだ若干延びていたということを人伝に知りました。
ほっとしたような、寂しさがまた募ってくるというような、微妙な感覚で心が満たされました。
この連休で最後とのコトですので、行って来ようと思います。
オレには終わりを見る義務と終わりを見たいという願望がありますから。
というわけで、12日の夜は海岸通りにいます。

孩子那様的大人

ガキみたいなオトナになるということ。
それは大人に成り損ねるということとは違います。
大人に成り損ねたオヤジやオバハンをたまに見かけますが、あれは見ていても寂しいだけです。
ガキとしての好奇心や自分を持つという意味でのわがままな部分、そういったものを忘れずにオトナになるというのが、オレの考えるガキみたいなオトナになるということです。
オレは楽しませるためというか、自分が楽しむためにガキみたいなことをやりますし、不用意に自分を良く知らない人間からは暴言とも取れる発言をします。
ただそういうことは、相手にとってのオレ自身の位置がある程度近しい場合にだけ行うことであって、TPOを考えないということでは決してありません。
本当のバカガキではありませんから、TPOをわきまえて普段はそれなりの対応をしています。
ガキみたいなオトナになるというのは、くだらないシガラミよりも自分や仲間たちが笑い合えるコトに重きを置くということです。

「周囲の迷惑」とか「一般的には」なんて、自分の意思だけではないような鬱陶しい言葉を、話の頭に置くことで自分の責任を軽くするようなのは、大人ぶった大人に成り損ねたヤツの言い訳に過ぎないと思うのです。
「シガラミが」とか「身内・友人が」なんてイチバンしてはいけない言い訳です。
言い訳に大切な仲間を使うなんてのは、ガッコをサボりたくてもホントの理由を言い出せなかった小中学生時代で終わりにしてしまえ、とオレは言いたい。

自分の人生なんてたった1度きり、行動を起こさずに後悔するくらいなら、行動を起こして後悔してしまった方がずっといい。
自分の起こした行動で失ってしまうような、軽い付き合いの仲間たちなら結局のところいずれは離別してしまうわけで、もしもその関係を崩さないためだけに自分の意志を失ってしまうのだとしたら、それは仲間を失うことよりも恐ろしいことではないかとオレは思うのです。

今のオレにはかけがえのない仲間たちがいます。
その仲間の中には幾度となく衝突して、時には殺意を覚えたような人間も多いです。
ただ、互いに互いの考えや生き様を尊重しているからこそ、意見の食い違いや衝突が起きたのだと、冷静な頭になった今なら感じ取れます。
お互いに衝突して別離して行ったヤツらもいますけど、少しでも道を共にして衝突できたコトをオレは誇りたいです。
衝突して離れていったのは、オレにもソイツらにも自分たちなりの筋を通すだけの骨があって、信念を曲げることなく突き進んでこれたからだと思うからです。
衝突してなお傍にいてくれる仲間たち、衝突することで道を違えた仲間たち、いずれもオレの宝です。

だから、ぬるく生きてこなかった自分自身に感謝します。
だから、ガキみたいに楽しみながら、少しずつ大人になっていくオレ自身を誇ります。

2年前の今日

新大阪のステキバーに出会いました。
あれから1度も顔を出してはいませんが、今でもマスターの柔和な顔とお店でかけるにはディープな選曲のジャズを思い起こすことが出来ます。
また行きたいなと思わせる店は遠隔地にはなかなか少ないと思います。
なんだかバルセロナのあの店でサングリアを片手に楽しんだ、あのラムチョップも思い出してしまいました。

朧月。
風に流れる千切れ雲。
耳を撫でる虫の音。
鼻をくすぐる夜の香り。
秋の訪れ。
忘れ得ぬ契り。

タギング

桜木町のガード下の落書きを見るのは好きです。
あの場所は周囲企業にとって迷惑というほど迷惑ではないし、長いこと描き続けられてきたことでそこに絵があることが認知されてきたし、スプレーによる落書きがアート寄りな位置にあるから許されるんだろうと思います。
でも、公共機関や住宅に描くのはアートじゃありません。
ただの犯罪行為であり、そこに自らの名前を刻んで喜んでいるのは頭の弱い異常者です。
それでも自らの絵とタギングに誇りを持って続けるというのなら、タギングのルーツを噛み締めてから名前をちゃんと読める字で刻んで欲しいものです。
もちろん個人を特定できる情報も含めてね。
迷惑をかけてでも主張したいのなら、自らの手でそこまで晒すべきです。
世間に主張を通すことができると思うのなら、その程度のことができないわけがないですから。
そうそう、今はドンキホーテに替わってしまってありませんが、あの猫のあふれていたバンドホテル脇の壁に描かれた絵も好きでしたね。