断ち切る

新生活を始めるにあたって、それまでの生活の中にいた人間関係を断ち切るような雰囲気があるようです。
転職に当たって旧職場の人間と連絡が疎遠になるとかいうのにはじまって、友人関係に至るまでそれは同じことが言えます。
女のコの告白を断る場合にも、交友関係すべてにヒビが入ることも多々ありました。
最初から浮いてるか沈んでるかどっちだったので、あまり関係ありませんでしたけどね。
ただ関係すべてを壊す覚悟がないと、オレの場合は恋も友人関係も枠を崩すことができなかったわけです。
なので、昔っから1人で動く方が好きでしたね。
関係を崩さないようにビクビクした付き合いをするよりは、派手に壊してしばらく1人で動けばいいよな~って感じで。
不器用というかバカというか…。
とりあえず賢くなかったのは間違いないです。
今も賢くなってないのも間違いないです。

***

久々のご帰宅。
飲んだくれ人生を象徴する2日間でした。
しばらくお酒はいいです。
6時間くらいは。

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手抜き

メシに関しては手を抜かないよね、といわれます。
実際のところ手は抜いてる面も多々あるんですが、それをそうとは感じない方も多いらしくて。
例えば、ラーメンを作るときにニンニクをすりおろすのが面倒くさいからガーリックパウダーをスープに混ぜてつくったり、サングリアはフルーツを刻んで漬け込みを待ちたくないからフルーツジュースとワインを混ぜてごまかしてしまったり、…などなど。
オレとしてはかなり手を抜いているつもりなんですが、周囲の大多数に言わせると手を抜く以前にそういうこと(自家製サングリア作成など)をやらないのが普通だとか。
美味しい物を食べるのは嬉しいし楽しいことですけど、それ以上に美味しい物を自分の手で作り上げるというのは嬉しいし楽しいことだと思うんですけどね。
どこか料理好きのみの持つ感覚なんでしょうか。
そして、「メシに関しては~」と限定されるのには、やっぱり含みがあるんでしょうかねぇ。

等身大の楽しみ

名の通ったシェフの店の数々に一時期よく行っていました。
行っていたというよりは連れて行かれていたというほうが正しいですけどね。
そこで感じたことなんですけど、ビックリするほど美味いわけじゃないんですよね。
雰囲気はかなり気持ちのいいものですし、料理も一般的なレベルを凌駕してはいます。
これは料理をする人間には分かるはずなんですけど、有名店の料理の美味しさって調理によって完成された味というのではないと思うんですよ。
最高の材料を使って調理するのだから、ある程度の味が引き出せて当然だと思うんです。
たしかに食材を手に入れるのに労力を費やしているのは理解しているつもりですが、それは料理人としての腕ではなくて経営者としての手腕のような気がするんです。
オレは近所のスーパーや小売店で買ってきた食材を、前述のようなお店の味のレベルまで引き上げて出すシェフを幾人も知っています。
それを考えると恐ろしく高い値段を出してその味や雰囲気を楽しむのがバカバカしくなってしまうんですよね。
きっと小金持ちの生活をしていたらそんな違和感とかはないかもしれないんですけど、オレはあまりにも金のかかっているもののよさとか分からないし、それを分かろうと背伸びをする気にもなりません。
そんなトコで背伸びなんかしなくてもいい。
背伸びするのは、背の高い彼氏や彼女と唇を合わせるときだけでいいんです。
結局のところ、オレには少し子汚い雰囲気の漂うバーでくだらない話に花を咲かせて、高くもない酒を酌み交わしながら、常連客の持ってきた食材をスタッフに調理してもらって大ハシャギというのがイチバン楽しいんだと思います。

何年か前の誕生日なんですけど、イタメシ屋でお祝いをしてもらったことがあります。
スタッフ総出で忙しい時間を割いて話しかけにきてくれたり、誕生祝の言葉を綴ったデザートプレートを出してくれたり。
同じ視点で悪戯やバカ話をしてくれるスタッフの応対にグッと来るものがありました。
オレにとって、アレは最高の誕生祝いだったと胸を張れます。
背伸びなんかしなくても、自分のペースでやってればこんなに嬉しいことがあるんだというのを実感させてくれました。
人とのつながり、気持ちのいい笑顔、そういうものがオレにとってはイチバン大事なんです。
それは金をかけるだけじゃ手に入らない、人としてのつながりをスタッフとも共有するには常にお客様であるだけじゃダメなんだってオレは知っています。
背伸びしたって何も見えません、等身大で向かい合ってこそ見えるものはあるんですから。

***

Q.最近の日記は週休2日なんですか?(フォームメールより)
A.えっと、驚くほどに気まぐれです。

化ける

常に泣きそうな顔をしていた彼の顔は、自信に満ち溢れるものと変わっていました。
慣れない環境でテンパっている彼に、スタンダードではないカクテルをオーダーして困惑させたのは、ほぼ間違いなくオレでした。
彼は経験のなさをカバーするために、休日を利用したり店が跳ねてから朝までの短い時間で、そのメジャーになりえないカクテルを様々な店で飲みまくってくれたらしいです。
オレが毎回のように彼に告げていたのは、「次に来た時に不味かったら、この店2度と来ない」という最低最悪の脅し文句だったと記憶しています。
今になってはじめて、彼はそうやって色々なカクテルをかなり厳しく勉強させてくれたことが今の自信につながっていると言ってくれますが、当時の彼にしてみればとてもムチャなことを言う嫌な客だったろうなと思います。
これから先、こんな酷い客は出てこないでしょうけど、努力家の彼はますます成長していくんだろうなとひしひしと感じるものがあります。
すっかりクソガキからいい顔に化けてしまった彼のさらなる成長を、少し遠くからでも見守りたいのですわ。
だから料理を志すあの店のスタッフとしての彼へ、最初で最後の贈り物はグローバルのペティナイフにしました。
コイツを使いこなしてくれることは、そう遠くない将来だと信じています。

野毛

オモチャ箱をぶちまけたようなあの街。
みなとかこ野毛と、MM21に倣って名づけていたのは姉貴だったと思う。
昼の仕事に就き、紅葉坂の近くの営業所に配属され、焼酎の飲み方を教わったのは野毛の音楽通りのステキな居酒屋だった。
何人か頭数が集まるとふらりと繰り出しては、ビールで乾杯した後、誰ともなくキープしてある焼酎のボトルを空け、手羽餃子を〆に食べるのが定番だった。
異動になって都内勤務になった後も、上司と2人で帰り道から少し外れた桜木町に寄っては、気の置けないメンツとこんな飲み会を繰り返していた。
そんな宴が断ち切られたのはもう2年と少し前になる。
突然の彼の死は衝撃的で、いつしか野毛から足が遠のいていた。
彼の死の直後に水商売関係の人間と紅葉坂で早朝の花見をした時、前々年の春に営業所のメンツで花見をしたのを思い出して自然と涙がこぼれたのを覚えている。

オレはあのゴチャゴチャとした垢抜けない街を愛してる。
彼の街を愛した人たちを愛している。
いつの日にか、笑って焼酎を酌み交わせる日を願ってる。
いい年したバカな大人が雁首そろえて夜明けまで。

銀座価格

中華街のあのバー、とか昨日言っておきながら久々に都内のバーで飲んでました。
ラガヴーリンをのんびりとロックで3杯。
モルトの似合う大人には程遠いですが、たまにはこんな渋いのもいいかななんて。
ラガヴーリンの香りとジャジーなBGMに酔いながら、モルトの似合う大人っていうのは男女問わずカッコイイんだろうなとふと思ってみました。
それにしても、ウイスキーは飲む場所によってなぜこうも値段が違うものなんでしょうか。
レアな酒もインターネットによって原価の相場が分かる時代、ボッタクリと取るか雰囲気のよさに許すかは人それぞれですけども…、むぅ。

性犯罪

集団暴行なんて記事を目にすると、コイツらの竿切り落とさせろと素で思います。
性犯罪者にセックスをする資格なんか与える必要はないと思うんですわ。
タマを残すのは子孫を残す可能性だけは残しておいてやってもいいかもしれない、というただの気まぐれな配慮からですが。
たかだか何年かで出所されて再犯なんていうのがザラにありますし、できればこのテの罪を犯したヤツらは一生涯塀の中で暮らしていただきたいというのはオレの切な願いです。
傷を背負って生きる辛さは傷を背負わなきゃ分からない。
でもその傷の痛みを少しでもすべての人間が理解しなくちゃいけないと思うんですわ。
遠い異国の地の平和を願うよりも、より現実的で同じくらい大切なコトだって思うんです。

「復讐する気持ちは分かるだろう?」
自分の彼女の心を砕かれた彼の光のない目を忘れません。
復讐殺人を肯定するつもりはありませんが、否定することも出来ません。
分かっているのは、その場に置かれたら復讐の手段を選ばないだろうってことだけです。
たとえそれが何の解決にならなくても…。
「ゴメンネ」
彼女の最期の言葉を忘れません。

相談

友達のバーのメニュー改定に関して意見を聞かれる。
値段の付け方と仕入れるべき酒について、店の方向性について。
ちょっと前にマネージャー代わりにそういうことをやっていたのをふと思い出した。
同い年で経験としてはほぼ変わらない年数しかこなしていないマスターとオレ、やはり上についた人間の器量でこういう部分には差がつくんだなと思った。
かつて教わったり、自分が肌を通して学んだことも踏まえて、彼のつくったメニューに少しだけ手を加えてもらった。
こういうのは楽しい、なんていうのか不思議な気分。
採点する側に回ったことがないから分からないけど、講師とか教師ってこんな感情を持つものなのかなと思ってみたり。

ボウモア

つい最近までモルトが飲めなかったのは、意外だと言われますが事実です。
以前はウイスキーならバーボンしか飲めなかったのですが、最近はモルトの美味しさが分かるようになってきました。
シェリーの香りに惹かれてマッカランで始まったモルト、そして以前から楽しんでいたバーボン、その双方の魅力を上手く活かしたボウモアが今ではイチバン好きなモルトになりました。
中でも好きなのは、「ボウモア・ダーケスト」というシェリーカスクを使ったものです。
市販価格で4、5千円と、それほど高いわけではないです。
漫画「おいしんぼ」で幻のモルトと評されたボウモア17年との価格差はほとんどないのではないでしょうか。
ただ、個人的にはボウモアらしさを堪能できるダーケストを断然お勧めします。

財布の中身に余裕がある方は、樽出しボウモアでも飲みに行きませんか?
中華街のあのバーに。

傷口

過去を吐露するには傷口を開く痛みを伴う。
それに対して学習がないだのいい経験だのと軽い感想を持つのは、痛みを知らない側の人間。
知らないことを幸福に思いながら、口をつぐめとオレは言いたい。
痛みを知らない者の何の気なしの言葉が、痛みを持つ者の心を深く穿つことは少なくない。
失ってからでは遅すぎる。
失った存在の大きさを実感してからでは何もかもが遅すぎる。
自らが矮小であることを実感するのは、自身の体に傷を刻み込んでからであると、再び思い知らされた。
若さは罪ではないが、己の幼さを知らずに大人ぶるのは愚かさを通り越して罪であると思う。
ほとんどの学生は20歳を越えようとも、所詮は未だ机上でしか物を学んでいない世代だと、いつか自分が笑われていたように彼らを見てしまう。
自分が見ていない世界を見てきた相手は、たとえ見てきた世界がどんなものであろうと、認めるべきだとオレは思う。
それができないのは、オレたちのようなクズですらない。

赤銅色

久々に昼間からウイスキーを楽しみました。
ちょっと入りづらい、裏通りのカフェバーで。
グレンリヴェットと、オールド・グランダッドというまったく性質も味も異なる酒をロックでのんびりと。
本来はお茶が得意な店らしく、ガラス製のやかんとアルコールランプが各テーブルに出てきたり、茶器も凝ったものがあったりとステキな雰囲気。
10煎近くはいけますというプーアル茶も香りよく、のんびりとした時間のお供にはもってこい。
コジャレすぎず、くだけすぎずの絶妙なバランス感が気持ちいいです。
スタッフの気さくな接客と耳障りではない音量の優しいBGMに心をほぐされ、のんびりと時間が過ぎていってしまいます。
ここまでステキな雰囲気のお店は、なかなか見つからないので素直に感動してしまいました。
こういう出会いがあるから、この潮の香のする田舎町を離れられないんだろうなとそっと独語。

***

珈琲ウォッカ、久々に作ってみようかなぁと思っています。
今回は500ml切るくらいのサイズの瓶でちと少なめにと考えています。
前回は750ml瓶でフルに作ったおかげでかなり長い年月冷凍庫を占領していましたので。
コーヒーウォッカをバニラアイスのソースにすると、コーヒーリキュールをかけるよりもアイス自体の甘さが際立って個人的にはストライクなのです。
まずは珈琲豆を調達して来いって話になるんですけどね。
今は普通に飲む分の豆すら切れてますから。
やっぱりマンデリンが飲みたい今日この頃。

荒らぶる子供

窓ガラスを派手に割ったり、教員を病院送りにしてみたり。
昔からよくある話ですが、決定的に今のそれとはなんか違うと思うんです。
今って学生が少し暴れるとすぐに警察とか出張ってくるし、昔は教師がツラ出してきて学生と揉めはするけど、最終的に合意とまでは行かなくても歩み寄りが出来ていたように思うんですよね。
若いコたちと酒の席で話をしてみると、深く悩んでいるのに相談できるような相手がいないというのをひしひしと感じます。
そういう時に自分らの世代だったら、親ないし教師とか先輩がこういう悩みの受け皿になってくれてなかったっけな、とか思ってしまったりするんです。
何ていうのか、全てをさらけ出して悩みを吐露できて、なおかつ頼ることの出来る相手っていうのは、成長過程にある世代にとっては絶対に必要なものだと思うんです。
世代全体でそういう相手を見つけられないとなると、学級崩壊とかそんなレベルじゃなくもっと大きな波が襲い掛かってくるような気がします。
ちょっと怖いです。

ないものねだり。
疲れてくると手に入らないものが欲しくなるみたいだ。
とりあえず、不思議な欲求に自分が疲れているのを実感する。

テーラードジャケット

個人的にはカジュアルでも着ることのある、好きな種類のアウターではあります。
スーツな職場だと、真夏でも接客時に急に羽織るものらしい。
でも、来客に失礼だからという訳の分からない理由で羽織るのはやめてほしいのです。
さっきまで腕まくりまでして仕事していたんだから、仕事中のカッコで出て行って問題はないと思うのですけどね。
だって、仕事場だと知っていて相手は来訪しているわけでしょ?
普段から着用して仕事に励んでいるならまだしも、普段はドレスシャツだけしか着ていないのになんだかなぁと思ってしまうのですよ。
そんなカッコに合わせた温度設定の涼しいというか寒い打ち合わせスペースでは、嫌でもジャケットを着ていかざるを得ないのですけど、そんな温度設定もなんだかなぁって感じですわ。
欧米に倣うのなら、一般階級はそれらしくジーンズにシャツとジャケットとかでいいと思うんですけどねぇ…。

落ちてくる青

月曜日、久しぶりにそんな時間の海にいました。
残念なことに浸かっているのではなく、海岸に立ってはいましたが。
薄暗い黒がゆっくりと深い藍に変わり、東の空がゆっくりと赤みを帯びたかと思うと次第に空が白み、一気に空全体に青が落ちてくる。
日常的に起きているはずのことですが、久しぶりに目の当たりにしたそれはあまりにも幻想的で思わずため息がこぼれました。
明け方の風はまだ半袖では肌寒いくらい、でもその風が頬を撫でるのが心地いいのです。
朝焼けの光の心地良さと相まって心がすぅっと落ち着いていくのを感じながら、久しくこんな感覚を忘れていたなぁと心の中で一言。
繰り返される日常の中にこんな感動があるように、ごく自然な仕草に魅力を持ちたいと思う今日この頃です。

再会

あの街でやり残したこと。
必ず会おうと契った指輪は大切にしまってある。
降り立った夜の舞い散る雪も、最後に交わした葡萄酒の香りも、記憶の深いところでゆっくりと揺れ動いている。
ふと写真を撮りたくなることがある。
生きている、色々な表情で魅了するあの街の風景を。
いかにも悪そうなガキどもが、顔を崩して笑顔をつくるあの瞬間を。
のんびりと異国の空気に浸かりたい。
美味いメシを口いっぱいに頬張り、名も知らぬ友たちと酒を酌み交わす、そんな光景が近頃遠ざかっていたのを思い出した。
アイツらの心に、オレはまだ生きているかなぁ?

脳が冷える

悪寒が走るというのとは違うし、覚醒していくというのも違う。
頭が冴えるに近いものではあるけど、そこまでシャープな感覚ではなくて、ホントに脳みそが冷えている感じ。
アイツはキレるけど怖いとか、そう言われてきた10代の頃にはよく感じた感覚。
ココには居場所がないなという漠然とした違和感と、自ら居場所を放棄しようと決意させるだけの不安。
その双方が相まって、妙に冷静に心を落ち着かせてくれる。
足場を瓦解させるような感覚のはずなのに、不思議と心を鎮めることができる。
周囲の喧騒を耳にとめることもなくただのんびりとバーでグラスを傾けるとき、自分が現状から抜け出そうとしていることを実感する。
脳は冷えているけど、まだ体は冷えきっちゃいない。
動き出すのは今だ、と心の中で誰かが告げている。