壁に描かれる絵。
幼い頃のそれはスプレーで。
オトナになったそれは光の色で。
昨日と今日の間に
銀には魔力があります。
金には持ち得ない種類の魅力が。
聖とか、退魔とか、そういう小難しいコトを言うつもりはまったくありません。
そういう側面から見たとしても、数多くの魅力があるということは否定しませんけども。
何か鋭利な光が見えるのが、銀の魅力だと思うんですよね。
幼い頃に折り紙の100枚セットとかには、金銀の折り紙がそれぞれ1枚ずつ入っていたように記憶しているんですが、アレを使う時も金色をさっさと使うわりには銀色はいつまで経っても使えませんでした。
気がつくとグシャグシャに折れ曲がっていたりして、全然使い物にならなくなってしまっていたりしたんですけども。
そんな風になるのが分かっていても使い惜しみしていました。
当然周りは金の方を大切にするヤツばかりだったので、とても不思議がられたんですけどね。
幼心に銀の魔力に取り付かれていた証拠でしょうか。
話は変わりますけど、10代の頃に「貴方は陽の光の下ではなく月光の下でこそ映えるタイプ」と言われたことがあるんですけど、銀もそうだと思うんですよね。
陽の光の下で焼けた体にもたしかに映えるんですが、月明かりの中で白い肌にそっと身につけた方がよりその魅力を引き出せるんじゃないかと。
銀は夜にこそ映える、そんな風に思うんです。
変わっていると言われます。
誰に対しても同じところで見ていると。
たしかに出会った子猫に対して、いきなり「かわい~」とは言わないです。
「よ~、何してんの?」とかそういうノリで話しかけます。
それは子供や年長者に対しても変わりません。
ま、人間相手の場合はよほど気の置けないヤツ、あるいは距離を持ちたくない相手に限るわけですけどね。
気を許せる相手には誰に対しても、同列の友達感覚なわけですわ。
上から見下ろしたり、下から見上げるってのはどうも得意じゃないのです。
視点を合わせてものを見れば、大抵のことは上手くいくと思うのです。
技術を盗むとか、そういった場合に限っては悪い言葉ではないと思います。
教わるのではなく盗み取る、職人の間では当たり前のことです。
ただ、飽くまでも盗むのは技術の基礎であって、師匠なり先輩なりが基礎の上につくったものに関してまで盗んでしまったらそれは何の意味も持たなくなってしまうと思うのです。
デザインや技術を真似て覚えることには何の問題もありません。
ただ、そこにオリジナリティを込めたり、自らのセンスによって新しいものに昇華させたりというのが出来なければ、ただの猿真似であり、二番煎じとしての魅力しかなくなってしまうのではないでしょうか。
当然、オリジナルに触れたことのない人間からすれば、その亜種ともいえる作品がオリジナルなのでしょうけどね。
なかなかに難しいものですわ。
装飾には意味がある。
ピアスを開けると運気が変わるとか、そんな神秘的なコトを言うつもりはありません。
装飾することで色んなものを背負ったり、重荷を下ろせたりすることが出来るという意味です。
たとえば、典型的なのは「婚約指輪」や「結婚指輪」というヤツでしょう。
自分の心をつなぐ証として贈り合えているのなら、それはとてもステキなものだと思います。
オレのつけている、あるいはつけていた装飾品にはすべて意味があります。
過去や現在の契り、未来への希望や願いというものが込められています。
甘いかもしれませんが、そういうものに願いを込めて身につけていられたら、どんな状況下にあったとしても、その願いや契りといったものを忘れずに済むんじゃないかなって思うんです。
オレの周りには刺青やタトゥーを背負ってるヤツは結構いますけど、彼らが体に刻んだ傷にはそれぞれの思い入れがあることを知っています。
ファッションで装飾するだけじゃなくて、装飾することに何か意味を持たせることが出来たらステキだと思うのです。
彼の口から「店を辞める」と聞いたとき、素直にこぼれ出たのはその言葉。
シェイカーを振るどころか、酒を量ることも満足に出来なかった入店当初から知っている。
そんなヤツが料理をマスターし、客の扱いも手早く丁寧にこなせるバーテンダーに成長し、今度は料理人としての道を目指そうとしている。
ガキの成長を見守るオヤジの気分だ。
面食らったようにオレの顔を見て、一瞬悩んだ後で破顔した彼を素直に可愛いと思い、最高の笑顔を見たなと確信した。
「なんか変な感じだけど、アキラさんらしい」
オレらしい、そうなのかもしれない。
でも夢を持って進むヤツの退職をおめでとうと言うのは間違いなく正しいと思う。
今までお疲れさまとか、次も頑張れよとか、そういう言葉は似つかわしくない。
疲れたから辞めるわけじゃないし、頑張るつもりで次を目指すんだから、夢を見つけることが出来ておめでとうっていうのがイチバンしっくりする気がする。
だからオレから彼に捧げる言葉は、「おめでとう」ただこの一言がいい。
***
ハーレム。
渋谷のあのクラブです。
看板DJが相変わらずすごいですよね。
つなぎの巧さは、聴けば分かるホントに天才。
ハーレムのコンピを買おうかと思ってたんですが、以前の看板DJ Kaori嬢にやられました。
Def Jamのミックスにガツンと食らっちゃいましたね。
気持ちのいい選曲に、キレイなつなぎと文句なしの出来栄えです。
masterkeyがメジャーどころで攻めた昔のミックスを思い返しながら聴くと、選曲もクラブ未経験でも楽しめそうな渋いトコを突いてきて対比が楽しめそうな雰囲気。
ドライブのお供やパーティのBGMに楽しく聴けそうですが、間違っても通勤のお供にして満員電車でノリノリならないように注意って感じでしょかね。
個人的にはハーレムの今回のコンピよりお勧めです。
何の気なしに調べた名前。
かつて住んでいた場所にあった。
のんびりとした空間で落ち着きをくれた店。
くだらないこだわりもなく、ただカッコイイ空気を感じさせてくれていた。
引越しの挨拶もせず、いつかは顔を出せたらと思っているだけでゴメンナサイ。
またいつかどこかのバーで会えたらいいね。
カウンターを隔ててでも、スツールで隣り合ってでも。
大好きな、思い出の詰まった店の閉店を知るってのは寂しい。
なくなるのが分かっているのも辛いけど、終わって初めて知るというのはもっと寂しい。
写真を少しだけ更新。
久々にちと小細工をしてみました。
これで更新頻度が上がるかどうかは分かりません。
それほど馴染みの薄いものではありません。
身近に感染、発症して死んでいったヤツもいます。
すっかり痩せ細った姿を見たときの戦慄は忘れられません。
免疫力の低下に伴う網膜炎感染で視力を失った目でオレの姿を探し、オレが我に返るまで空をつかむように動いていた指の1本1本を鮮明に思い浮かべることができます。
死と向き合いながら生き抜こうとしていた姿は、当時のオレにとって衝撃的で圧倒的でした。
殺されるのなんか怖くはないとカッコつけていたことが、ガキが夜中にひとりでションベンにいけると言っているのと大差ないものだと気がついて、自分のバカさ加減がイヤになりました。
生きる意志がそこにはありました。
死と対峙してなお乗り越えようという強い意志がそこにはありました。
恥ずかしながら、そういう場に直面して初めて「HIV感染≒死」という誤った考えを拭い去ることができたのです。
特殊な雰囲気の病気ではあるけど他の病気と大きな差異があるわけではない、そんな簡単なことに気づいていなかったのです。
今にして思うとホントに恥ずかしい考え方をしていましたね。
誰かに熱さを感じることって、なかなかないものです。
でも、ごく稀にだけど、何気ない瞬間にすごく惹きつけられる力を感じる相手がいるんですよね。
それは、バーの店長だったり、腕のイイ美容師だったり、はたまた可愛い顔した制服フェチ学生や、賭けダーツ好きのオヤジだったりと、年代も社会的立場もバラバラなんですけど、共通してあるのが「自分を持っている」人たちだということ。
なんだかついつい惹かれてしまう相手って良くも悪くも、周囲に流されないタイプの人間が多いんです。
我が強いというか信念を持っているというか、プラスと取るかマイナスと取るかは受け手次第という危うさも相まってオレにはとても魅力的に映るのです。
熱いのはカッコ悪いと中途半端に冷静ぶるくらいなら、1度だけでも焦げ焦げになるくらい熱くなってみた方が楽しいんじゃないかなって、彼らを見てると思うのです。
何を得てきたのか、何を失くしてきたのか、思い出そうにも思い出せない。
手にしたものや失くしたものが、周りと少し違ったのかもしれない、
でもそれがオレらしい選択だったのだと信じている。
五を捨て十を得る、そんな器用な真似はしてこなかった。
五を持ち十も拾う、アレも欲しいコレも欲しいわがままなガキだったから。
そのせいで迷惑をかけた相手もいるし、失ってしまった相手もいる。
でもそれで良かったのだと思う、…そう信じている。
これから先も色々なものを捨てられずに行くのだと思う。
自分の歩みのことなど考えず、色々なものを背負い込んでいくのだと思う。
オレを受け入れてくれヤツらとどこかでつながって、お互いを幸せにしたり不幸にしたりを繰り返して楽しんでいけたらいいなって思う。
オレは必ずしもプラス要素にはなりえないし、クセのある連中はみんなそんなもんだと思ってるから、幸福ばかりを分け与えようなんて考えは微塵もない。
バチバチとぶつかり合って、どこかでつながりあっていきたい、そう願ってる。
***
直接の面識はありませんが。
同じメイカーズマーク飲みとして。
ご冥福をお祈りします。
やらしいこと考えた人正解。
そういうことも含めて「ヤル」なわけです。
Jenny Holzerの言葉にこういうのがあります。
「Slipping into madness is good for the sake of comparison.」
随分前からこのサイトを見てる方には懐かしい言葉かもしれません。
今の2つ前のデザインくらいまではトップページにずっと載せていたのでね。
座右の銘とは言いませんが、それに近い言葉です。
彼の打ち出す数多くのインパクトの強いメッセージの中でも、群を抜いてオレの心を穿ったメッセージです。
敢えて邦訳はしませんが、オレは「狂気に陥る」というのを踏まえて、何事もやってみなくちゃ分からないというような意味で受け止めています。
ある意味、「人殺しの気持ちは人殺しにしか分からない」とか「麻薬中毒にもなったこともないのに麻薬中毒者は語れない」とかそうそういった感覚です。
なんつーのか、興味を持ったらどんなことでもやっちゃいたいというタイプなのですよ。
その先にあるものに大きな恐怖を感じるのであれば、その限りではないですけどね。
知れば知らなかった世界が見えてくる、知れば知っていた世界が見えなくなる。
どちらを選ぶかは当人次第。
ヤルのもやらないのも当人の責任。
***
不意に懐かしい人からのメール。
その内容についつい微笑んでしまう。
こんなメールがいいね。
いわゆるスーツのインにドレスシャツではなくTシャツを合わせたり、足元をレザースニーカーにしてみたりといった着こなしのことです。
こういうのって好きなんですよね。
さすがにスーツにTシャツを合わせるようなことはないですけど、ジーンズにテーラードジャケットを合わせる時にはなるべくドレスシャツ以外をインに着ますし、ダークスーツスタイルでもチョークバッグをアクセントに持ってきたりと、結構普段からドレスダウンを楽しんでいます。
足元は毎日やたらと距離を歩くので、ブーツなどのトレッキングに適した丈夫なレザーシューズ
を履いていますし。
どっかにカジュアルとはいかないまでもそういう抜けた所があると、ベースとなる服装の魅力も何割増かになるように思うのですわ。
なんか凝り固まった考えで服装を決めてしまうと、頭の中までカチコチになってしまう気がしてイヤなんですよね。
***
少子化社会対策基本法案。
配偶者特別控除とかそういうものを悪しき方向に見直したくせに、安心して子供を生む環境も何もない気がするんですが…。
なんだか穴を掘って功績を誇っていた人が、その穴を埋め始めてもう1度表彰されたがっているように見えるのは気のせいですか。
そうですか、オレに政治的な視線が備わってないせいですよね。
***
目覚まし。
起き抜けに重ねる唇が好き。
相手は目を覚まさなくてもいい。
白雪姫相手なら起きてくれなきゃ困るけど、静かな寝息が耳をかすめてくれるならそれでいい。
普段は頭がクラクラするくらいに濃厚なのが好きだけど、こういう時だけは軽いキスがいい。
PCを使った簡単なアルバイトです。
PCが使えれば、どなたでも簡単に出来ます。
サイドビジネスとしてサイコーでした、とは自営業の大沢さん(仮名)。
この写真と記事が事実だったしても、いい年したおっさんが女子高生を演じる出会い系のサクラをしているというゆるぎない事実。
ええ、あのテの在宅PCバイトってこのテの仕事が多いんです。
ハッキリ言って、出会い系のサクラだと時給千円ってそれほど魅力的な金額ではないですよね。
色々な意味でリスキーだし。
バイトしてるのがホントに女性だったりして、メール相手がIPアドレスから住所引っ張れるようなステキなネット中毒者だと、ホントにある意味生命の危機だしね。
なんだか、久々にそういう勧誘メールを見て感慨にふけってみたり。
いわゆるエクスタシーと呼ばれているクスリです。
ま、実際のトコ市場に出回ってるのは、覚醒剤やら抗鬱剤やらとの混ぜ物が多いんで必ずしもMDMAとは言い切れませんが、危険な度合いは純正MDMAよりも割増です。
クラブで朝まで踊り続けられるとか、徹夜しても体がメチャメチャ動くとかいう理由でクラブ小僧を中心に広がってるようなんですけどね。
ただ、アレって神経毒なわけで。
体温調節機能を麻痺させて、体温の上昇に本人が気づいてないだけなんですよね。
体温調節が出来ずにいると死の危険性もありますし。
どうしても使うんだったら水分補給を確実にして、適度に休憩を挟んで死なないようにしておいた方がいいと思います。
ただ、原価は1錠10円以下のものに、それなりの大金を叩いてる自分のバカさ加減だけは忘れないようにね。
クラブ系の音は好きです。
しっかりと腰を据えて飲めるバーコーナーがあるクラブならサイコーです。
さすがに踊りっぱなしはもう危ないかなって感じなのでね。
つまり、クラブ系の音をチョイスしてくれるバーでも良いってコトです。
ドラッグなんかより、イイ音と美味い酒の方が楽しいのにって思うのですわ。
久々にボウモアかマッカランでも飲みたい気分です。
いわゆるチェーン店っていうのが苦手なんです。
無個性というか万人受けってのが性に合わないというかなんというか。
でも先日どうしても生ギネスが飲みたくって、「Dubliner’s irish pub」というサッポロの系列店に行ったんですよ。
なんかチェーンのバーの概念を崩されましたね、久々に。
キャッシュオンデリバリーの価格体系に、しっかりと1パイントぎりぎりまで入れてくれるサービス姿勢、周りがほとんど異国人というのも個人的にはストライクでした。
ギネスとキルケニー、ミルズとジェイムスンを軽くいただいただけなんですけど、ウエイティングで飲むにはもってこいかなって感じでした。
異国語に囲まれてイイ男を目の前にしていたら、ついつい海外旅行したくなっちゃいました。
のんびりと何にも考えずに小さな荷物だけ持ってね。
出会いと別れと、生と死と。
オレにとってこれだけ馴染みの深い街はありません。
生まれ育った茅ヶ崎よりも、ほとんど根を下ろしたことのないあの街の方が様々なコトを思い出させるのです。
決して垢抜けることのない街だというのが、横浜を語るときの本音です。
いかに高層マンションが建ち並ぼうとも、いかに近代的なスポットが広がろうとも、下町の匂い漂う野毛や胡散臭い香り満載の黄金町や曙町、そういった街並みを忘れることは決してできないのです。
口の悪い店主が店を構える居酒屋、人懐っこく寄って来る野良猫たち、独特の雰囲気を醸す大道芸人、昔ながらのポン引きの背中、キャラの濃い常連の集まる雑多で小汚いバー。
オレにとってはすべてが大切で、すべてが懐かしいものです。
あの街と深く関わってから10年以上を数えますけど、まだまだ遊び足らないし、まだまだ上辺だけでも知ることができていないように思います。
これから先もあの街を愛しているでしょうし、他の街にここまでの情熱を注ぐことはできないと思ってもいます。
なんていうのか、自分の足で歩いて、自分の目で見てというのがないとダメなんですよね。
それでいてコジャレが欲しいと思うと、オレにとっては日本では横浜という街をおいて他には考えつかないのです。
都会人にはなれないなって、ふと感じてみたりします。
***
「濱マイク」の写真集を入手しました。
黒田光一さんの写真に無条件に酔えます。
お勧めです。
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