chopsticks

お箸を上手く使えること。
挨拶がきちんと出来ること。
それだけで良いと思う。

それだけ出来れば幸せになっていいはずだとオレは思う。
もちろん、それが出来なければ不幸になれということではないけどもね。
食事の場で周囲を不快にしないだけのマナーがあれば、美味しくご飯を食べられると良いなと思う。

そこに美味しいものがあれば、争いや悩みなど小さなものなのだと信じているので。
美味しいものを美味しく、そして美しく食べられる人でありたい。

コメントはまだありません »

コメントを残す

矛盾

以前もこんなコト書いたかもしれませんけど。
どんな人も矛盾する部分を持っていると思います。
幼児の純真無垢でいて残酷な側面を持つっていうのが、イチバン近しくかなりの確率で経験しているいい例ではないでしょうかね。
昔、精神病院に押し込められている子供のコトを書きました。
その一部に、小動物を愛でていたかと思うと、ふとした拍子にアスファルトに叩きつけて殺してしまうというくだりがあるのですが、これって幼児期に「アリさん、アリさん」と言って蟻を可愛がるように接していた子供が、いつの間に蟻を踏み潰しまわっているのに似ていませんかね?
まぁ、似ていないと言われればそれまでなのですけど。
精神病とされているヤツらと、健常者とされているヤツらの幼児期の行動とにどれだけの差があるのだろうという疑問が湧き上がるのですわ。
要は誰にでも愛でている物を突然壊してしまう時期があって、精神病とされているヤツらはそれが長い(あるいは終わらない)だけなんじゃないかなって。
可愛さあまって憎さ百倍の意味を少し考えてみたくなりました。

Yシャツ

つまりホワイトのドレスシャツです。
実は今現在、Yシャツって持ってません。
1年ちょっと前に最後の1枚を捨てて以来、買おうと思ったこともありません。
これから先手に入れることがあるとすれば、葬儀に参加しなくてはならなくなった場合に限るでしょう。
そういう状況になることが、できる限り遠い未来であることを祈りたいと思います。
スーツをコジャレに着こなすのに白いシャツがイチバン重要なアイテムだと思いますけど、どうしても死を想像させてしまうんですよね。
世話になった人たちを思い出しちゃって切なくなっちゃうんですわ。
白いシャツを着ると似合わないとか、珍しいとか言われるのがイヤだっていうのは、この際忘れておいてください。

職人

昔からそう言われることが多々あります。
やると決めたからには、中途半端なモノを作らないところからそう呼ばれたのでしょう。
最近ではあまり見なくなったけど、父親の頑固で思い込みの激しい部分を少なからず受け継いだ証拠なのだろうと思います。
たしかに、やるのかやらないのかで揺れている時は、自分がやりたくない(あるいはやることで大きな問題の生ずる可能性のある)ことに関しては徹底的に反対しますけど、やると決まればそれがどんな問題をはらんでいるにしても中途半端なモノにはしたくないのです。
自分自身が納得できないものを、他人に公開して出来栄えに納得させられるかと問われれば、納得させることなどできるはずもありませんから。
職人肌と呼ばれることは誇らしいです。

年の差

よく歳の離れたカップルが年の差を感じないとか言いますよね。
アレって嘘だと思うんですよ。
2、3歳くらいならまだ分かりますけど、5歳以上も離れてて年の差を感じなかったらちょっとおかしいですわ。
年下の方が引き出しが多かったり、よほど人生経験豊富なヤツなら話は別ですけど、もしもそうでなかったとしたら年上の方が実年齢以上に人間として幼いのだと言い切ります。
歳を重ねた分だけ偉いわけではないですけど、過ごした日数が多い分は何事か先んじてるものがあるべきだと思うんです。
それがないのだとしたら、過ごした年月に対する人間的な成長が足らないのだと、オレは考えているのです。
オレ自身も年下のヤツらに対して、何かたった1つでも先んじてることがあるようにしていたいと思います。

***

キスの5秒前。
頬にそっと両手を当てて、照れる顔を眺めるのが好きです。
すぐに目を閉じようとしないで見つめ返してくれるとストライクです。
むしろオレが照れます。

妥協

何かをしてくれるから何かをしてあげる。
職場や安っぽい友達同士のコミュニケーションにはちょうどいいと思います。
ギヴ&テイクとはよく言ったものです。
でも、見返りを求めずに何かをしてあげたいと思うような相手は、滅多にいませんけど確実に存在します。
それをすることで相手や自分に何かしらの利益が生じなくとも、決して喜ばれることはなくとも自分の命すら投げ捨てる覚悟が出来る相手ってのはいます。
少なくともオレにはそうしてくれた人がいました。
命を投げ打ってオレの盾になってくれた人に対して、オレが何を返せるのか分かりません。
すべてがギヴ&テイクで割り切れるなら、自分のために命を懸けてくれた相手に何を返せばいいのか教えて欲しいです。
返すことすらかなわないのなら、せめてオレの死ぬときまではその人たちとの思い出を決して忘れずにいたいと思っています。
誰かのためではなく、オレ自身の心の安らぎのために。

水時代はまかない料理作るのが好きでしたね。
お客に出すようなバー飯ばかりつくるのもアレだからっていうんで、カツ揚げてみたり和食にしてみたりとオーナーには怒られそうなくらいに材料費と時間を惜しみませんでした。(笑)
今考えるととんでもないヤツですわな。
でもまかない料理って作ってるのがホントに楽しいんですよね。
仲間が美味しいと言ってくれた時の顔っていうのは、何者にも代えがたいくらいの喜びがありますし、なにより既存のレシピ通りに作らなくていいというのがオレには嬉しかったのです。
ちなみに、職場で使っていてイチバン手に馴染んだ、ル・クルーゼの鍋とグローバルの包丁はかなりお勧めです。
ル・クルーゼのホーロー鍋に、トマトやらキャベツやらウインナーやらピーマンやらをドカドカ投げ入れて弱火でコトコト1時間くらいやると、野菜から出た水分だけでもなかなかイケるスープが出来上がったりするのです。
素材のすべてを活かして、簡単で美味しいのがサイコーです。
実は「いい奥さんになれる」と言われるほどに、顔に似合わず炊事はけっこう得意なのです。

自棄酒

逃げる酒というか、嫌な酒を飲んだのは何度かあります。
友達が死んだ時には浴びるように酒を飲み、記憶を失うまで泥酔します。
暴れるのを抑制するために酔い潰れるのだと言えば聞こえは良いでしょうか。
本当にみっともない飲み方で、場を盛り上げるためにバカ学生がやる一気飲みの方が、アクティブな方向に働いているという意味で幾分かでもマシでしょう。
後は自分が気の置けない相手だと思っていたヤツに実は裏切られていたとか、そんな時にはロンリコ151をショットでカパカパ空けてましたね。
そういう時ってどうしてもネガティブな発言が多くなるので、あまり顔を知られていないバーで飲んだり、自宅で一人飲みをしたりとなるべく話しかけられない状況で飲んでることが多かったと思います。
最近ではそういうこともメッキリなくなりましたけどね。
心が揺らぐほど大きな出来事が起きていないのか、それとも心が麻痺してしまっているのかは分かりませんが、それほど悪い傾向ではないと思っています。
笑って美味しい酒が飲めれば、それに越したことはないのです。
笑うことのできない自棄酒は酒に対して失礼ですから。

酒サイトっぽいなぁ、ここんトコ。
ちょびっとだけ自分を誉めてやりたいです。

14歳

脳がイチバン活発に動く時期だそうです。
何をしていたかと考えると、すごく濃い時間を過ごしていたような気がします。
色んなコトを初体験して、自分の視界が大きく広がったのもこの頃だし。
自分の心に深く傷を刻んで、ひどくネガティブになり始めたのもこの頃だし。
とにかく色んなものを取り入れて、色々なところに行ってみたいというのが非常に顕著だったような感じです。
それこそ酸いも甘いも経験し倒した年代だったのではないでしょうかね。
もし脳が活発に動いていたとすれば、そういうアクティブでいてネガティブなテキトーな性格が今の根底にあるというわけですよね。
なんだか妙に納得しました。
たしかに眉唾な感は否めないですけど、「3つ子の魂百まで」よりは信憑性があると思います。

***

いつだかカミュを空けて以来、自宅に強い酒を置かなくなりました。
冷凍庫でトロトロになってるスピリタスは、飽くまでカクテルベースなので強い酒とは言いません。
あの亜純エチルアルコールはたまに吹き掃除にも使います、指紋もきれいに拭き取れますので完全犯罪にお勧めです。
自宅で飲まなくなった証拠でしょうかね。
実家では日本酒をカパカパ空けたり、外でもスピリッツを飲んだりしているので、酒が嫌いになったわけではないと思うんですけど。
何だかまた家飲み非推奨型になってきたのかなぁとふと思いました。

悩み

思い悩むことはよくあります。
小さなコトであれ、人生を転換させるような大きな出来事であれ、それに対して何かを考えるというのは悪いことではないはずです。
それによって長期間笑顔を忘れるようなことがあっても、いつか笑えればそれはその人にとって糧になったのだと思います。
体や心に傷を刻んで、それを悩まない人には成長はないとオレは考えます。
小さなことにも大きく反応して、思い切り落ち込んでしまったら、どん底からまたはい上がっていけばそれで良いのです。
今いる場所から見えなかったものが、下からは見えるかもしれませんし。
さらに高みを目指すには、少なからず挫折や落下というものが必要なのだと信じているのです。
脆さや弱さは力のなさを示すものではなくて、何かを得るための重要なものなのだとオレは信じています。

対等

かつて職場の先輩だった女性がオレに対して「彼はすごい人、ありがとう」と言っていたと耳にしました。
ミーティング(というか他部署に1人で講師に行ったときのことだと思います)の際に課長に対してもズバズバ意見を言っていて、「この人はホントに誰に対しても対等にものを言う」と感じたというのが理由らしいんですけど。
ハッキリ言うとすごくないです。
上司だとか先輩って言うのは、その場における役割の違いってだけですから、対等に意見を戦わせるコトは当然のことだと思うんですよ。
その人はとりあえず上司の意見をすべて聞いた上で意見なり返答なりするとのことでしたが、打たれ弱いオレにはその方法ではムリなんです。
ゴングが鳴った瞬間から打ち合いに行かないと、こちらが何をするまでもなくノックアウトされてしまうのがオチですから。
あと、相手が自身の意見に酔いしれる前に、アタマを引っぱたくなり、水をぶっかけるなりしないと後々面倒なことになりかねないというのも大きな理由のひとつです。
下の意見を尊重できない、役職次第で偉いとか偉くないとか勘違いしている人っていうのは往々にして、自分に無駄な自信を持っていて排他的ですので、その特徴が顕著にならないうちに意見をぶつけてしまえというのがオレのスタンスです。
日本社会的に言えば、上の意見に逆らう不適合者かもしれませんけど、オレはこういうスタンスを変えることが出来ませんし変える気もサラサラありません。
何はともあれ、会議ないし打ち合わせと称して人間を集めるからには、その場では意見は対等に扱うべきだと思っているのです。
もしそうでないのであれば、発表会とでも銘打ってくれた方がありがたいです。
つまり、オレはわがままでええかっこしいであって、決してすごい人ではないということです。

***

ワンコイン。
近所のカフェが美味そうな雰囲気。
マスターがレゲェ好きで、オレもよく顔を出すバーでノリノリで踊り狂ったという話を先に聞いてしまって、正直ちょっと引いてましたけど、景気回復までワンコインで料理を提供なんて粋な心遣いに好感度アップです。
立地があまり良くないだけに頑張ってもらいたいです。
体調を整えて週末にでも行ってみたいと思います。
つまり体調が悪かったりするのです。
いわゆるかぜっぴきです。
ワックスで髪を立てる気もなく、前髪ができてるさわやかゆるゆる天然パーマな日でした。

2年以上も個人サイトを運営していると考えることもあるわけです。
なんといいますか、1巡したなって感じです。
立ち上げた当初は、ホントに好きなバーを羅列していただけのページでした。
やがて、日記のようなものをつけるようになり、次第にそちらがメインで訪れてくれる閲覧者が増えました。
その頃のBBSにかなりのロースパンで書き込んでくれていたのは、現:やパバや嬢、ひつじ姉、リズ姉、みちる嬢、KIMU兄、スパロー兄。
今ではほとんどそのお名前を拝見しない方ばかりです。
そして、変わったのは書き込みしていただいている常連さんだけではなく、このページ自体も大きく変貌を遂げています。
最近は写真を撮ってみたり、取りとめもないコトをつらつらと書き殴ってみたり、当初のバー紹介ページとはかけ離れてしまっています。
これを進化といえるのか転進といえばいいのか、オレにとってもそのあたりは曖昧です。
ただ、1つの区切りがついたなってのが実感としてあります。
まぁ、区切りがついたとはいえ、ココはこれからも落ち着きなく変化していくサイトだと思いますし、ふとした拍子になくなってしまう可能性もゼロとは言えませんけどね。
何はともあれ、これからもよろしくお願いします。
シンプルに、気まぐれに、カッコよく。
これだけは忘れずにいこうと思っています。
キライになったわけではなく、多忙などの理由でこのサイトを訪れられなくなった方々が、久し振りにのぞいた時に、「印象は変わったけど、中身は相変わらずだなぁ」なんて言ってもらえるようなサイトにしていきたいと思っているのです。

野良猫

地中海に浮かぶ島で野良猫たちと語り合う。
彼らの多くは冬を越すことなく死んでいく。
観光客たちは無責任に、地元民や政府が越冬の支援をすべきだと言う。
オレはそんなことしなくてもいいと思う。
自然の摂理として長い間行われてきたことに、ぽっと出の人間が口をはさむ必要などどこにもない。
1年足らずの限られた時間の中で彼らは生き、運と力のあるものだけが翌年の春に新たな生を残す。
それが当然の光景なのだから、安っぽい言葉や行動でそれを捻じ曲げることが正しいとは思えない。
オレは日々彼らに遊んでもらい、彼らに色々な話をする。
聞いてくれているかどうかは分からないけど、そうすることでオレは優しい気持ちになれる気がする。
別れの日、また会おうと別れる。
お互いに運が良ければ再会できると信じてるから、サヨナラとは言わない。
きっとあの島では、あの日の猫たちがまだオレを待っていると信じている。

***

平山あや。
なんか最近このコが好きです。
天然ちっくな動きや発言もツボだったりします。
そこ、天然好きとか言うな。
自分でもよく分かってるよ。
しっかりしてるけど天然なコが好きなのは、と開き直ってみたりして。

踏み込み

下手な鉄砲も数撃ちゃ当たる。
でも射程距離に入ってないものには、いつまで経っても届かないんです。
ましてや、誰も鉄砲を持って生まれてくるはずもなく、最初は絶対に素手なんですから。
自分の拳なり蹴りなりを自分の目標に当てるためには、まず間合いを詰めなきゃ話にもならないんですよ。
ただ、前に一歩でも踏み込んだら、その勢いにそのまま乗って行ってしまえば良いんです。
そういう点では格闘技や喧嘩と変わりません。
最初に勢いづいてしまえば、後はわりととんとん拍子で行ってしまえるわけです。
要ははじめの一歩をどこまで踏み込めるかってトコにかかってくると思うんです。
深く踏み込めば、踏み込んだ分だけカウンターを食らってもう立ち上がれないかもしれません。
逆に浅く踏み込んだり後ろに退いてみたりすれば、現状維持以上にはなりえませんが、今以上のリスクを背負うことはありません。
前に出る勇気、後ろに退く賢さ、どちらを選ぶかはその人次第。
でも、中途半端に宙ぶらりんではいつまで経っても何も変わらない、あるいはいつの間にか立ち上がれなくなってしまうってことだけは確かです。

聖家族教会

海外に行くならココに行けと言いたいくらいに好きな場所です。
きっとマチュピチュや万里の長城というような遺跡でもスケールの大きさは感じられるでしょうし、むしろのそちらの方が歴史の重みなどを見るには適しているはずです。
でもオレはこの教会というには桁外れのスケールの建造物にこそ、大きな魅力を感じてしまうのです。
風化と同じ速度で建築が進められているので、おそらく完成することはないのでしょうけど、そこに建物が生きているという錯覚をしてしまうのです。
それこそアントニオ・ガウディの魔力なのかもしれませんね。
聖家族教会、グエル公園、カサ・ミラ、カサ・バトリョ、彼のゆかりの建造物の立ち並ぶバルセロナの街並みは非常に不可解で美しく、とてつもなく魅力的です。
そして自分たちのコトをスペイン人ではなく、カタルーニャ人だと言い切って住む土地を誇るバルセロナの人々を素直にカッコイイと思います。
あぁ、クレマカタラナ食べたい。

顔出し

サイトにツラを晒しています。
取り立ててイイツラをしてるわけでもないのに、何でツラを出しているかと問われれば答えは決まっています。
他人のBBSにメアドかサイトURLを記入することで、発言への責任の明確化をすると以前に言いましたけど、これはそれの延長線上にあるものです。
自分の言いたいコトを自身の責任で言ってる以上は、別に顔だの名前だのってのは隠す必要もないと思っているわけですよ。
当然晒す必要もないわけですけど、自分自身が閲覧する立場なら顔を知ってる方が、テキスト読んだりBBSでのレスを読んだりする時に、何を言わんとしたいタイプなんだろうというのを想像しやすいから出してるっていうわけです。
生理的にこのテの顔を受け付けない方には、お目汚し申し訳ないとは思いますけども。

***

MISIAの今年のリミックスアルバムを聴いてみました。
一言で表せば「カッコイイ」です。
並みいる外国人リミキサーを押し退ける魅力を放つのが、DJ WATARIのリミックスによる「めくばせのブルース」、オレのイチ押しです。
全体的な印象としては、週末のクラブで激しいノリの曲でひとしきり盛り上がった後、少しクールダウンさせるのに流れていそうな雰囲気。
ただ、クラブキッズにはたまらないと思う反面、一般ファンからはリミックスアルバムばかり出さずに新曲を出して欲しいという要望が強まるような気がします。
でも、元々一般層に受けちゃったのが不思議なくらいに、いかにもクラブ系のミュージシャンだと個人的には思っているのですけどね。
クラブ好きは買って損なし、そうでもない人は新曲を待つが吉。