無意識

人間の心理の大部分が意識の領域であり、無意識とは意識に悪影響を及ぼす恐れのあるものを隠しておくところであると説いた心理学者がフロイト。
フロイトの説では「抑圧」された空間が無意識であり、ネガティブなものであると考えていたということが言えます。
ちなみにフロイトは、無意識を「Es」と称しています。
Es(エス)はドイツ語で、ラテン語ではId(イド)、英語ではit。
すなわち「それ」という意味になります。
Esは人格の暗い部分であり、その大部分は消極的性格をもっています。
Esにはいかなる論理的な思考も、時間・空間概念も、価値判断もなく、ただ快感原則とだけ緊密に結びついています。
簡単に言えば、無意識下で行う行動は自分が気持ちよければ、後はどうでもイイというコトになります。
そういう状況を避けるために意識的に、Esを抑圧して人間は生きていると。
オレはそうは思いません。
人は無意識下であっても必ずしもマイナスな行動にばかり出るわけじゃないですから。
弱さを破壊衝動に持っていく人間はパワーが余ってるんだと思います。
思い切りカラダを動かしてスッカリ疲れちゃえば、ぐっすり眠って翌日には無意識のうちに笑顔になれそうな気がするんです。
なんでこんなコトを書いてるんだろうと思うんですが、SMの話からエスって言えばとこんな心理学の話を持ってきちゃっているのが、マニアックなオレらしいっちゃオレらしい。
・・・そういえば、本性と書いて「イド」とルビをふる作家も少なくない。
それだけでも、フロイトの定義するEsがどういったニュアンスのものか多少は理解できる感はあるかもしれないですね。

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夢と現実の境って、かなり希薄なものだと思う。
たとえば、夢は自分1人だけで夢だと思ってみるから夢なのであって、世界中で同じ夢を見るようなことがあればそれは現実に起きていることと変わりがないのではないかと思うのです。
世界各地に伝わる神話がいずれもどこか似通った部分を持っているのは、同じ祖先から伝え聞いたものをリメイクしてきた結果なのではなく、同時期にまったく同じ夢を見たと考えるのはロマンチストすぎるでしょうかね。

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ふと思ったんですけど、オレって心理学者とか精神科医になりたかったのかもしれません。
実際のところはバーカウンターでのひと時限りのカウンセラーが関の山でしょうけどね。

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箱根駅伝

箱根駅伝開催。
箱根駅伝を見ると、あー年始回りでオヤジの兄貴の家で見てたよなぁ、とか思い出したり。
いつからか年始回りにくっついていくこともなくなって、オヤジの兄貴も死んじゃって、そんな空気を感じることもなくなったわけだけど、やっぱり駅伝を見て思い出すのは幼い日の光景。

ちなみにあれだけ近く(R134)を走ってる、駅伝ランナーを見に行ったことは1度もありません。
ミーハーな心は欠片もないようです。

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ゲームのサウンドトラックス。
これだけで引く人も多いかと思う。
オレもファミコン時代のピコピコ音のサントラを想像すると萎える。
でもコイツは違うぞってコトで、最近は「探偵・神宮司三郎」の15周年サントラを聴いています。
ゲーム自体はサウンドノベルって感じでアレですが、音が激しく良いのです。
下手なジャズアルバムよりも、絶対に酒に合います。
あんまり店頭売りしてるのは見たことないので、アマゾンとかセブンドリームドットコムとかで買うと良いです。
ちなみにゲームの方はあれだけ騒いでたのにもかかわらず未だに買ってません。
誰かください。

Jump!

ジャンプで幕開けの2003年でした。
その後、カミュを2杯とイクラ御飯を1杯という妙な組み合わせで食事。

年始回り(?)の電話で「ぼちぼちですよ~♪」と言われた近所のバーに行ってみたら、大混雑。
だまされたー!
ハタチそこそことか未成年だろ~というメンツの中で飲むのはさすがにキツかったです。
モーガンをボトル3分の2くらい空けたくらいで朝を迎えたわけですが、さすがに酔い酔いでした。
若者の悩み相談中に他の物も飲んでたせいかもしれません。
普通に歩いて帰宅したのは覚えてるんですが、その後洗濯機を破壊したりしたのは覚えていません。
1年の計は元旦にありってコトで、今年もでろでろって感じでいきますわ。