受け入れて昇華して。
大事なのは忘れないこと。
ただ紡ぐこと。
昨日と今日の間に
心でも体でも持っている障害を不幸と思わない。
不便だったり寂しかったりするかもだけどさ。
心を飛ばすような惨劇を経験したヤツでも笑える瞬間は必ず来るはず。
そこに同情が生まれたらおしまい。
それがなければ付き合いはもっと深く広くなる。
そして、何よりも面白くなる。
オレの周りはみんなどこか欠落してる。
カラダであれ心であれ頭であれ、どこか足りない。
それだけに欲求が強いし繋がりを大事にする。
どんな罪を犯そうとそこに納得のいく理由があれば、納得のいく謝罪があれば、それが殺人だろうと受け入れる。
そういうのがなきゃ人付き合いは浅いし、つまらないものになるって信じてる。
イカレた感性であっても、オレたちにとっては真実。
一生を背負えるのは当人だけだから、手を差し伸べるのは間違っていると言われてみて。
それが正しすぎるくらいに正論だと知りつつ、それを必ずしも受け入れられない自分を発見していました。
オレを救い上げてくれた人は必ずしも善人ではありませんでしたが、当時のオレにとっては恩人でした。
善意だけでなく悪意も含めたドロドロと折り重なった感情がオレたちの系譜であり、その関係と彼の人に終止符を打った後もオレを型作る種の1つになりました。
打ち捨てられて当然の人間でも救いがあることで変われる。
救いは一般には必ずしもそう映らずとも、当人にそう映れば意味を為すもの。
それを知らない人に何を言われても、オレの心には深くは響きません。
雨を浴びながら転がっていたオレにかけられた言葉を思い出します。
その暴言はオレにとっては今も福音です。
雨音は初老の恩人の靴音に重なります。
知らなかったことを知ってしまえばフェンスのこちらには戻ってこられない。
向こう側に行ってしまえば、住み慣れたこちら側に心から帰ることはできない。
無知の尊さを知るのはそれを失った時。
気づいたときにはすべてが遅い。
オレたちは誰にもオレたちと同じ道を望まない。
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