小学生の卒業式。
暖冬の影響で妙に暖かくて、もう桜が咲いてました。
花冷えのお陰か中学入学の頃まで花は咲き誇り、妙に嬉しかった記憶があります。
他にも10月生まれのオレの10歳の誕生日に10輪の朝顔が花をつけてくれたりなんてこともありました。
幼い頃は花に色々としてもらっていた気がします。
大人になったこれからもきっとお世話になるでしょうが、それに対して少しでも何か応えられたらいいなぁと思う今日この頃です。
そんな思いを込めて、少し早いですがTOPの変更です。
卒業を迎えられる学生の皆様、飛翔の春となることを祈っています。

***

ザックリ嵐に遭いました。
久々に靴の中まで濡れるという感覚を味わいました。
なんだか小学生の頃を思い出しながら、じゃぶじゃぶと水溜りを歩く20代のオヤジ。
これだけ降ると、とてもじゃないけどSTINGな気分じゃないですね。

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海賊水

アクアビット

カウンターの右端は独りで居たい日の為に。

雨の日のために

雨の日のために

土砂降りの雨の音で目が覚めました。
寝ぼけ眼で珈琲を淹れてると、ランダム再生のオーディオからGoo Goo DollsのSlideが流れ出てきました。
珈琲をすすりながら、薄ぼんやりとした頭でこの曲をよく聴いてたことのことを回想します。

別れ難い相手と離れる時に、周囲の人間関係ごと切り離してしまう悪癖がオレにはあります。
別れ難さの要因は、好意であったり恩義であったり様々ですけども、共通して言えることがあります。
それは切り離すと決めた人間関係が、よりその相手に近しいあるいは必要なものだということです。

オレは依存型の人間ではないので、付き合う相手や環境において自分を変えることは難しいです。
しかしながら、依存型の相手がオレのそれに合わせてくれることもまた欲するべきものではないのです。
だから、変わって欲しくない場所ごと離れていってしまう…って、これもまた我侭でしょうけども。

「相手か環境か方法か自分かどれかが間違ってるから上手くいかない。 何かを変えれば上手くいく」
いつか吐いた毒は、彼の人の心に響いてくれているでしょうか。
思えば2人が会う日はいつも雨が降ってましたっけ。

傘嫌いのオレが雨の日のために用意するのは傘ではなくて…。

線路の下

線路の下

線路は続くよ。
どこまでも。

ミナモ

みなも

花吹雪の行先。
水面に咲いた華。

枝垂桜

枝垂桜

視線の位置まで下りてくれる優しさ。
そういう姿に憧れます。

忘却の華

ヒカンザクラ

忘れたいと望もうが望むまいが、人ってのは忘れていく生き物です。
起きて、仕事して、遊んで、食べて、寝て…。
ただの日常の繰り返しが記憶を奪っていくのです。
そうやって風化していくくらいがちょうどいい、オレはそう思います。

それでも紡ぎたい記憶なら、媒介に傷や痛みを刻み付けて。
彼の人の記憶の媒介たる、春の花と薩摩の海とに酔いどれた夜はそんなことを思うのです。

「忘れたがらない相手に何もあげちゃダメ」とは、別の相手に言われたステキな言葉。

休憩

独占のカウンター

ツレ同士が笑い合える空気。
ただそれだけあればいい。

桜雨

夜、河、桜

桜雨の告げる春の訪れ。

彼の人への献杯を。
湿っぽいのは空に任せて。

簾

自分ではないものを創出したくて、ノークレジットで画を撮り文を紡ぐのです。
こんなオッサンでもキレイな文も画も創れちゃうのが事実なので、アレもコレもゴーストがいるんじゃないかと興が冷めますが。
これも職業病ですかね。

如雨露

如雨露

いつものカフェで。
甘えられる相手がいる幸せ。

花の名前

染井吉野

聞こえない片耳。
だからこそ響く音もある。

ヤマザクラ

山桜

変わらない花。
オレもそうありたい。

ふとした拍子に思い出される人でありたい。

疎まれても飽きられても。
そういう風にあればそれがいい。

蝋燭の灯り

ミルクポットと紅茶カップ

決して受け入れないくせに決して拒絶しない。
そんな二律背反。

つきまとう胸の痛みは生乾きの瘡蓋。

水飛沫

チョッピー

グイッと引き寄せられる感覚。
強引なくらいが魅力的。
少なくともオレらみたいな感性の人間にとっては。

生部

ケルト十字のある店

お互いにある種の地雷になり得る相手と会ってきました。
結果としては、会いに行って良かったなと思います。

会っていいものか悩んで期間を空けてみて、その間に環境に変化があったわけでもないですけど、頭を冷やすことで擁護するそれだけでなく、場合によっては辛辣とも取れる言葉を選べましたし、相手にもそれを理解してもらえたように思います。

「優しい」と言われるのには、相変わらず慣れませんし、その言葉自体に納得も出来ません。
でも、相手が甘やかしてくれる環境にないのなら、オレくらいは無条件に甘やかしてしまってもいいんじゃないかなと思うわけです。
そうすることでオレ自身が救われるのであれば、相手にとって意味がないことでもいいんじゃないかなって。

麦酒縛りの夜は、某所の鋏使いとの夜を彷彿とさせてステキな気分にしてくれました。
笑い疲れた感覚が、乾杯の相手にもオレと同様にありますように…。