凍てつく空気。
瞬く灯り。
少し遅い冬の訪れ。
昨日と今日の間に
土砂降りの雨の音で目が覚めました。
寝ぼけ眼で珈琲を淹れてると、ランダム再生のオーディオからGoo Goo DollsのSlideが流れ出てきました。
珈琲をすすりながら、薄ぼんやりとした頭でこの曲をよく聴いてたことのことを回想します。
別れ難い相手と離れる時に、周囲の人間関係ごと切り離してしまう悪癖がオレにはあります。
別れ難さの要因は、好意であったり恩義であったり様々ですけども、共通して言えることがあります。
それは切り離すと決めた人間関係が、よりその相手に近しいあるいは必要なものだということです。
オレは依存型の人間ではないので、付き合う相手や環境において自分を変えることは難しいです。
しかしながら、依存型の相手がオレのそれに合わせてくれることもまた欲するべきものではないのです。
だから、変わって欲しくない場所ごと離れていってしまう…って、これもまた我侭でしょうけども。
「相手か環境か方法か自分かどれかが間違ってるから上手くいかない。 何かを変えれば上手くいく」
いつか吐いた毒は、彼の人の心に響いてくれているでしょうか。
思えば2人が会う日はいつも雨が降ってましたっけ。
傘嫌いのオレが雨の日のために用意するのは傘ではなくて…。
忘れたいと望もうが望むまいが、人ってのは忘れていく生き物です。
起きて、仕事して、遊んで、食べて、寝て…。
ただの日常の繰り返しが記憶を奪っていくのです。
そうやって風化していくくらいがちょうどいい、オレはそう思います。
それでも紡ぎたい記憶なら、媒介に傷や痛みを刻み付けて。
彼の人の記憶の媒介たる、春の花と薩摩の海とに酔いどれた夜はそんなことを思うのです。
「忘れたがらない相手に何もあげちゃダメ」とは、別の相手に言われたステキな言葉。
自分ではないものを創出したくて、ノークレジットで画を撮り文を紡ぐのです。
こんなオッサンでもキレイな文も画も創れちゃうのが事実なので、アレもコレもゴーストがいるんじゃないかと興が冷めますが。
これも職業病ですかね。
お互いにある種の地雷になり得る相手と会ってきました。
結果としては、会いに行って良かったなと思います。
会っていいものか悩んで期間を空けてみて、その間に環境に変化があったわけでもないですけど、頭を冷やすことで擁護するそれだけでなく、場合によっては辛辣とも取れる言葉を選べましたし、相手にもそれを理解してもらえたように思います。
「優しい」と言われるのには、相変わらず慣れませんし、その言葉自体に納得も出来ません。
でも、相手が甘やかしてくれる環境にないのなら、オレくらいは無条件に甘やかしてしまってもいいんじゃないかなと思うわけです。
そうすることでオレ自身が救われるのであれば、相手にとって意味がないことでもいいんじゃないかなって。
麦酒縛りの夜は、某所の鋏使いとの夜を彷彿とさせてステキな気分にしてくれました。
笑い疲れた感覚が、乾杯の相手にもオレと同様にありますように…。
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