装飾

装飾には意味がある。
ピアスを開けると運気が変わるとか、そんな神秘的なコトを言うつもりはありません。
装飾することで色んなものを背負ったり、重荷を下ろせたりすることが出来るという意味です。
たとえば、典型的なのは「婚約指輪」や「結婚指輪」というヤツでしょう。
自分の心をつなぐ証として贈り合えているのなら、それはとてもステキなものだと思います。
オレのつけている、あるいはつけていた装飾品にはすべて意味があります。
過去や現在の契り、未来への希望や願いというものが込められています。
甘いかもしれませんが、そういうものに願いを込めて身につけていられたら、どんな状況下にあったとしても、その願いや契りといったものを忘れずに済むんじゃないかなって思うんです。
オレの周りには刺青やタトゥーを背負ってるヤツは結構いますけど、彼らが体に刻んだ傷にはそれぞれの思い入れがあることを知っています。
ファッションで装飾するだけじゃなくて、装飾することに何か意味を持たせることが出来たらステキだと思うのです。

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猫とコロナとハロウィンと

南瓜祭

猫とコロナとハロウィンと。
じきに不死鳥の名を思い出す日がやってきます。

豚は牛の中

豚は牛の中

牛が豚の肉骨粉を食べたというのは発想がダークでしょうか。

「忙」の意味

忙しいというのは、心を亡くすと書きます。
実際に多忙な時期というのは、心の余裕のない時なんだと思います。

ただ、その瞬間こそ心が機能していなかったとしても、後々になって心に余裕が出たところで、多忙な時期に犯した失敗や五感から得た情報に向かい合うことに気がつきました。
つまり亡くしているわけではなく、心は閉じているだけなんじゃないかなと思ったわけです。

要は、心を閉じたいがために「忙しい」というのを言い訳にしているだけなのかなと。
亡くすことなどありはしないと知りながら、その免罪符にすがっているだけなのかなと。

オレ自身は心を自発的に閉じることがありますし、気づけば閉じたまま何年も開かない部分だってあります。
そちらに関しては開くことで自分の平常心が保てなくなるので、よほどのことがない限りはどんな相手にも開いたりはしません。
おそらく今後は墓の中まで持っていく類のものです。

墓の中まで障壁を作るべきものとそうでないもの。
その区分けをちゃんとすべきなのかもしれませんね。

少なくとも、もう準備を始めてもいい時期だと自分の名と同じ季節を再び迎えてみてそう思いました。

シーリングファン

シーリングファン

回るファン。
止まる腕時計。

そういうことなんだろうと今は思う。

冷えた赤ワイン

冷えた赤ワイン

蓼食う虫も好き好き。
冷えた赤葡萄酒を愛する人もいます。

忘却の温度

忘却というのが死の形だと思います。

忘れられてしまえば、そこには何も存在しません。
それがオレの描く死の形。

場合によっては、最初から存在しなかったことになるのかもしれません。

でも、それでいい。
いや、それがいい。

名前をちゃんと呼んで

記号としての名前というのがあります。
役所や病院で自分を指し示すための名前といえば分かりやすいでしょうか。
待合札やカルテ番号と大差ない、識別コードとしての名前は、呼ばれたところで何ら感情を動かすことはありません。
少なくともオレはそうです。

名前をちゃんと呼んでもらえることが嬉しいと感じる人は、おそらく名前を否定する環境にいた人だと思います。
芸名・源氏名であったり管理番号であったり、本来の名前を使用されずに呼ばれる人ほど、自分の名前に対する愛着は強いんじゃないかなと、オレは思うわけです。

先日の悪戯電話に嫌悪にも似た違和感があったのは、本来の読み方をしてもらえなかったからかもしれません。
あの街で本来の読み方をしないことを許すのは数えるほどで、そのいずれもが深い関わりを持つ方です。
つまり、呼び出された場所とオレとの関係もよく知っているはずで、少なくともそれが何を意味するかは知っています。

深夜にかかる時間帯にブチ切れなくて良かったなと、不可思議な読みを持つ自身の名に感謝しました。

さとみです

半年前に会ったらしいですが、半年前に飲み歩ける状態じゃなかったのは周知の事実。

となると、誰から番号が流れたかは…なー。

いた電もたまには悪くないでーす。

ちょっと面白かったのと、またかけてくるそうなので備忘のために書いておきます。

直線の言葉

かつての自分が培ってきた知識や経験、それが残ることが重要であって、自身の残留などは問題ではないと考えていました。
しがみつくことを醜態と捉え、手離れのいい様を潔しと信じてやみませんでした。

それを全否定して突き付けられた言葉のすべては、真直ぐで辛辣で飾らなくて、それだけにオレの心を深く穿ったわけです。
残念なことにオレの言葉は相手の心を穿つことはありませんでしたが、それはそれで良かったのかも知れません。

諦めと達観は場を一にしない。
そんな当たり前のことを忘れていた自分が恥ずかしいですわな。

ただ「ありがとう」と言いたいです。

記憶の無駄使い

意識下にあって意識していない感覚というのがあります。
ぱっと見た光景を、実際は認識しているのに思い出せないというのに似ている気がします。

ここのところ意識を飛ばすことが増え、先月にはその影響で左肩の肩盤損傷をやらかしましたが、あの手の瞬間には周囲がスローモーションになるってのは本当ですね。
つい先週にどんな言葉を吐いたのかすら覚えていないくせに、階段に叩きつけられる瞬間にガッと伸ばした右腕の感覚や天地を変えつつある周囲の人の驚きの表情は、ひと月あまりが経過してもよく覚えているものです。

なんつーのか、記憶力の無駄使いをしている気がしてなりません。

孤独の肖像

孤独の肖像

汚い街で駄目な仲間と。

喰うことにすら困って這いずった記憶。
道を退けずに争った痛み。

底辺の人間は悲喜も人一倍色濃い。

孤高

孤高の鳥

何が見えますか?
そこからは。

葉月の蒼

葉月の蒼

その瞬間は2度と来ない。
次の瞬間に自分はいなくなるかもしれない。

だからこそ、その刹那は最高の関係でありたい。

その瞬間を「忘れられること」がなければ、きっとオレは満足。

右手

結局のところ、この手の紡ぐものは涙だけ。
上っ面の笑顔をばら撒いたところで何も変わらない。

「お前は戻れない」と言った彼の人の声を反芻する。

貴方たちへの贖罪はいつか煉獄で。
罰も赦しもまだ早い。

アメリカンより薄い

アメリカンより薄い

カラオケだけ、プリクラだけ、…。
そんな関係を象徴するかのような薄い味。

個人的にはもっとしっかりした味が好みです。
フレーバーシロップで手直しすればいいのでしょうが。