肉体労働系のオヤジのあふれる定食屋でも、ネクタイ着用でなければ入れないようなレストランでも、食事を楽しめなければダメだと思います。
同じように食事するではなく、場所や他の客に合わせて話し方や立ち振る舞いも考えられなきゃ大人の楽しみ方とは言えないでしょう。
すべてを自然体で行い、それでいて周囲に気を遣うことができたら、きっとその人はとても美しい。
雑多な汚い店でチンピラじみたしゃべりと行動をし、気心の知れた仲間たちとだけ笑いあう。
そんな楽しみ方しか知らなかったオレの転機は、スーツ・ネクタイ着用でのフレンチレストラン。
あまり好きではないスーツに身を包み、慣れない言葉遣いで周囲のちょっといい暮らしをしてそうな坊ちゃん嬢ちゃんと話をするうちに、シンプルな答えが見えてきた。
無理をして自分を偽ればすぐにボロが出る。
かといって普段どおりで行動するのは失礼にあたる。
大切なのは場の雰囲気を読むこと。
その雰囲気で許される範囲内でなら自分を偽る必要などない。
自然体で楽しむというのはそういうこと。
初めてそれを感じてから5年超を数えて、オレ自身はサラリとそれができるのは間違いないですが、それをちゃんとやるかどうかは場の雰囲気と相手次第というのが、天邪鬼の本領発揮というトコでしょうかね。
ただ、頭の弱い学生の転がるチェーン居酒屋と、気取りすぎた勘違いカップルのあふれるバーには入ることすらためらわれるのはナイショ。

***

久々にビョークのデビューアルバムを聴いてました。
ご存知の方も多いかと思いますが、彼女はソロ以前にいくつかバンドを結成してました。
中でもソロデビュー前の最後のバンドとなった「Sugur Cubes」は個人的にはツボのバンドだったわけです。
ヴォーカルはビョークだけじゃなくて、アイナーというもう1人の男性ヴォーカルを立てるというツインヴォーカルで、まったく異質な声を持つ2人の絡みが魅力的でした。
ファーストアルバムでは、画家とか詩人が集まったバンドということで勢いだけでぐいぐいと引き込まれる感触で、あっという間に惚れ込んだんですが、セカンド以降は個人的には聴くに堪えないバンドになってました。
魅力であった「変態的」な勢いが消え、パンクスに通じるものがなりを潜めてしまう。
2人のヴォーカルの質に格差が目立ち、魅力的だった絡みはビョークがアイナーを一方的に食う形に変わってしまう。
3枚のアルバムを残して「Sugur Cubes」が解散したときに正直なところホッとしました。
どんどん凄みを増すビョークに比べて、デビュー時と変わらないアイナーが痛々しくて、聴いていられなかったのです。
なんというのか成長は大切だけど、バンドという枠の中にいる以上均衡を保っていられないと、急成長を遂げる当人も、成長できない周囲も辛いものがあるんだなぁと感じました。
ビョーク聴いてたら、アイナーはどこに行っちゃったんだろうって思ったわけです。

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wheel of fortune

輪と樹

No.10。
金冠の獅子。
転機を示す輪。

silhouette

影絵

気怠い暖房。
暖かいお茶。
色のない夢を見る。

pine

皿の上の松

反芻する言葉。
キャロルの季節に。
大したことじゃないけど。

ノエルの靴

ノエルの靴

嬌声は遠く。
雑踏は遠く。
降誕祭の温度。

冬の華

華

暗い空にしがみつく星座。
片手には缶珈琲。
星の名前を思い出す。

I’ll sing the blues

蒼い灯

I’m free to be whatever I
Whatever I choose
And I’ll sing the blues if I want

Chant de Noel

紅色

ノエルの足音。
肌を刺す風の温度。
キャロルの聴こえ始める頃。

Tokyo Tower

Tokyo Tower

いつもと同じなら。
やり方は人それぞれ。
自分なりのそれを選べばいいだけ。

colors

夕暮れの灯

冬の匂いのする夕焼け。
色の変わる灯りを見上げる。
明日はきっと晴れる。

china blue

中華街の門

消えていく温度。
今はなき人たちの残り香。
今宵は良い歌を聴きたい。

wonder wall

壁画

壁に描かれる絵。
幼い頃のそれはスプレーで。
オトナになったそれは光の色で。

fountain

噴水

夕暮れ。
童謡の流れる時間。
お家に帰ろう。

キラキラヒカル

石の光る部屋

輝きの色と。
輝きの温度と。
キラキラヒカル。

恐竜の日

恐竜の日

何も変わらず。
胸の熱さはそのままに。
幼い日に見上げたのと同じ。

re:born

窓辺の華

嬌声と乾杯と。
遠回りの途中。
紡ぐのは記憶。