手に入れるとか、自分のものにするとか、そんな言葉が陳腐に感じるような「好き」という感情があります。
誰かの幸せを祈って自分は身を退くなんてのはええかっこしいの戯言に過ぎなくて、相手だけでなく自分も幸せになることを望んでこそ初めてそれは幸せを祈ることになるんじゃないかなって思う瞬間があります。
そんな気持ちを知らずに生きているのはすごく寂しいことですが、そんな気持ちを知らなければ寂しさを感じることもないのかもしれません。
まぁ、恋愛感情に限らず、友情や愛情といったことも含めて視野を広げれば、自己の犠牲によって成り立つものが最良ではないことに気がついてしまうものだとは思うんですけども…ね。
好きな珈琲を飲んで古い歌を聴きながら、いつかの初夏の香りを思い出してみたり。
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