夕暮れ。
童謡の流れる時間。
お家に帰ろう。
昨日と今日の間に
靴は高いものを履け、と言われたことがあります。
ほとんどの場合他の服飾品よりも長いこと付き合うものだし、足はどんな仕事でも資本だから、というのがその人の「高い投資をしても良い物を選べ」という言葉の拠り所らしいです。
少なからずその言葉を噛み締めているのでしょうか、オレはたしかに靴は良い物を選ぶようにしています。
まぁ、必ずしも高いものではありませんけども。
ただし、足にフィットした靴が欲しいと生まれて初めて言うような人には、それなりの価格帯の靴をそろえたショップやメーカーを勧めています。
なぜなら、格安靴屋にはフィッティングの意味を知る店員が、明らかに少ないからです。
足の形や癖などを履いてきた靴やその人の足から、正しく判断してくれる人間がいない靴店では試着の意味が半減します。
もちろん、長時間の着用を必要としない靴なら、話は別なんですが。
実際、近所の買い物程度であれば、180円スニーカーであっても足の疲れは気になりませんし。
ちなみに、同じところに通って相手に覚えてもらって、なおかつ自分でも正しくクセを理解して、というのはヘアサロンなどにも共通して言えることですよね。
思いつきでinfoに手を入れようかと思っています。
好きなものとかについて、AtoZ形式で書こうかなとか。
なんだか、プロフすらも興味ある人はいないだろうと言って削ったオトコの台詞ではないですね。
冷静になって考えてみると、やっぱりいらないかなぁとも思いますが…。
少しだけ書きたいことがあるんですよね。
フラットな関係が好きです。
所々お互いに尊敬できる点がありつつ、大体同じラインで交流できるというのがたまらなく。
オレは自分を過小に評価し、自分のレベルでことをなせない年長者や上位者に対して「怠慢」だと感じているように、見えるらしいです。
実際のところ、過小に評価しているつもりではありませんし、矮小で脆弱な人間であることは間違いのない事実ですから、そう考えることがおかしいとは思わないのですけど。
ただ、最近ではそういうことがあってもいいのではないか、と考えるようにしています。
ルーズさが鼻につく相手であっても、きっと他の面ではいい部分があるのではないかな、と。
まだまだ顔が引きつる思いとともに無理やり納得させている部分は否めませんが、他のことを受け入れることができるようになったように、これもいずれは受け入れられるようになるのではないかななんて、ちょっとだけ期待しています。
ただ、やはり「怠慢」な人とは友達にはなれそうにありません…。
こればかりはどうしようもないようです。
随分と久しぶりにシャボン玉をしました。
雨上がりの昼下がり、風の強い自宅のベランダから。
色とりどりの球体が、風に吸い込まれて辺り一面にふわっと舞い上がる様は、さながら幼い日に読んだ童話の魔法の光でした。
何か忘れていた大切なことを思い出すような、それでいて幼い頃にはよくあった瞬間のような、不思議な感覚に陥りました。
昔は何の気なしに楽しんでいたことが、最近では少しだけ違う意味を帯びてきたようなそんな感覚を改めて噛み締めることができました。
そういった機会を与えてくれた春雨と夕刻の晴れ間に感謝したいと思います。
そして、幼い友人にも。
Tシャツデザイン難航中。
ネタ系でいくのかええかっこしいでいくのか…。
現状の案は以下の通り。(タイトルから想像してください)
りらっくす兎、ダイヤモンドあんたいとる、いい子になんなさいスマイリー、切子三連星、キューティー雪兎。
方向性が見えなくなってまいりましたわ。
ヤバイですね。
それなりに空いた車内で違和感を感じて座席に目をやると、その違和感の正体に気がつきます。
襟を立てたカバーオールジャケットに黒いカットソー、と流行りのカッコと言える服装の2人組。
それくらいなら、ちょっと不自由なお顔でもそれなりに格好がつくとは思うんですが。
襟元のアクセントなのかクロムハーツのペンダント、指先には大きすぎるクロムハーツのリング、かけても似合いそうにないサングラスを胸ポケットに差し込み…。
簡単に言うとクドいんですよね。
なんだか、ピンバッチをジャラジャラと付けるいわゆるオタクなファッションとでも言うのか、パステルカラーで彩った上にワッペンを過剰に貼りつける小学生とでも言うのか、そんなゴテゴテとした印象を受けたのです。
神に愛でられたような美貌の持ち主なら、方向性を間違えたファッションでも問題はなさそうなんですけど、見た目が標準前後のレベルだとやっぱりキツそうです。
それなりの年に見えるのですから、足して足しての厚化粧ファッションセンスではなく、最後にひとつ引くくらい余裕のあるオトナなファッションで臨んでほしいものです。
合コンの予定でもあるのか、必死になって都市情報誌をチェックするのはいいのですけど、いい雰囲気なお店であればあるほど、そのカッコじゃ相手も引きますってば…。
どこに行くかじゃなくて、誰と行くかって方が重要だと気づいた方が良いと思った初夏の昼。
鬼門開放。
久々にアルマグロを飲みました。
スペインワインのリーズナブルな価格としっかりとした味わいに頬が緩みます。
いい国なんですよね、ホントに。
暑くなってくるとビールが恋しくなりますね…、なんて感情は微塵もありません。
なぜかというと、日本市場にあふれるラガービールが苦手なんですよね。
自他共に認める樽生ギネス党なので、当然エールが好きなのですよ。
生でなければ、炭酸水と大差のない味わいの欠片もない有名ブランドのラガーよりも、ジラフやらデリリュームといった少し変わった銘柄を選びます。
それはさておき。
たしかにアルコール度数の低い、喉を潤すための酒が恋しい季節が近づいてまいりました。
そんな季節には冷蔵庫をビールで埋め尽くすのではなく、スピリッツを1本常備することを個人的にはお勧めします。
スピリッツはウォッカでもジンでもラムでも、好きなものを好きなだけ用意すればいいと思います。
あとは飲みたい日の気分に合わせて、ソーダなりジンジャーエールなりを買ってくれば良いのです。
やってることはウーロンハイと大差ないんですが、今日はジンバックなどとのたまうと周囲の羨望の眼差しを受けられること間違いなし。
そういう周囲の目は正直どうでもいいんですが、焼酎のように甘ったるくならないところがオレは好きです。
そして、ビールやら発泡酒やらを買うよりも、コストパフォーマンスが優れているのです。
まぁ、よっぽど程度の良いスピリッツを用意した場合にはその限りではありませんけどね。
たまには原点回帰で酒ネタ。
ピンクや黄色の派手なトレンチコートを着る女のコを見てふと思います。
数年後にその姿を省みて恥ずかしくはなりませんかって。
なんか、あの色合いってオレにはコスプレのナース服と大差なく見えてしまうのです。
夜の香る原色系のスーツや艶やかな色の特攻服に身を包んだ時代を懐かしそうに語る人も知り合いにはいますけど、それにはそれなりの笑い話や重い話が盛り込まれているから、「昔の話」だと語っても恥ずかしさ以上の何かが感じられるのであって、あの原色トレンチの数々にはそれを見出せるとはとても思えないのです。
このくらいの時期から海岸通りのコンビニには、これからラブホに直行する匂いプンプンなカップルが溢れるんですけど、明らかに流行りものが好きなねーちゃんが多いわけですよ。
セックスするくらいの間柄なら彼氏も指摘してやれよと思うんですがねぇ…、その彼氏も似非B系だと目も当てられません。
オレは数年後に見ても恥ずかしくないような、可愛いあるいはカッコいいカッコをして欲しいと思う性質です。
ベーシックな中にほんのアクセント程度に流行を取り入れるだけでも、十分その時代のファッションを楽しむことができると思うのですよね。
そんなことを考えながら、自称2歳の3歳児とハーゲンダッツの抹茶アイスを買ってました。
市販ものだと、やっぱりコレがイチバン美味しい気がします。
それにしても、抹茶アイスが子供に人気だなんて、ついこの間まで知りませんでした。
月末の土曜日はかつてのホームグラウンドたる、関内~石川町で多少なりとも飲むつもりです。
時間的に各店に挨拶回りとはいかなそうですけど、忘れられないうちに顔を出さなくてはね。
考えてみれば、随分と顔出ししていない店がいくつも…。
スタッフが変わっていないことを祈ります。
漠然としています。
以前は「リヴ・タイラー」と即答していたんですけど、最近ではそうでもありません。
まぁ、昔からいらぬツッコミが入らないように、異国の方を述べていたきらいもありますけどね。
基本的にめんどくさがりなのですよね。
ことに女性関係で話を盛り上げるのはあまり得意ではありません。
酒の席ならいくらでもそういう話で盛り上げますけどね。
実際のトコ、普通に女性タレントやら男性タレントの名前が出る人の隣りの恋人やら向こうの憧れのあの人は、そのタレントはどれだけ似ているのかと実況見分をしてみたくなります。
というのは言いすぎですけど、とても不思議な感じがするのは本当です。
というわけで質問です。
あなたの好みはタレントに例えると誰ですか?
一応、これってフォームレスです。
7分とか5分のハンパ丈のカットソーとボトムに興味そそられる今日この頃。
やっぱり、袖とか股下とか気にせずに済みそうだからですかね…。
なんだかな。
無感動だの、無感情だの言われるのにはもう慣れました。
でも、周囲の人と変わらずに、何かあれば泣き笑い怒ります。
ただ、感動や感情が表に出ないのは、オレ自身も痛感することですから、その言葉に何を思うわけでもありません。
表面上の感情の起伏を少なくしたのは、もういつの頃だか思い出せません。
きっと、かれこれ10年以上前からこうなのだと思います。
ポーカーフェイスというのはこういうことを言うのだろうと、今はおぼろげながらに思います。
オレは感情に支配されるのはあまり好きではありません。
なぜなら、結果として良いものが残せることよりも、後でゾッとするような結果と向かい合う方が多いからです。
そして何よりも、支配されるよりも支配する方が性に合っているからなのかもしれません。
ええ、自他ともに認めるSですからね。
日本では結婚指輪を左手薬指にするのは有名ですが、指輪は嵌める指によって様々な意味があるのをご存じでしょうか。
右手は現実的なもの、左手は精神的なものを司るとされています。
親指は、右はリーダーの風格を、左は困難に立ち向かう精神力を意味します。
人差し指は、意志を強固に保ちたい、前向きにありたい、という意味。
中指は、現実的なパワーを得る、宝石による願懸けをする、のにそれぞれ有効です。
薬指は恋愛を意味し、右手も左手も恋や結婚や恋愛をそのまま表すものです。
小指は守護としての意味合いが強く、右はお守りとして、左は中指同様に願懸けとして扱われることが多いようです。
ちなみに、いつだか銀のシンプルなリングを「願い事がかなう」と言って渡したのは、オレの左親指に嵌っていたからです。
特にあのリング自体に意味はなく、オレの手を経て何らかの意味を持たせたかったのだと思います。
チャイハネで拾った右小指の指輪は、実家を出る少し前に母の左薬指へとおさまりました。
オレの守護はいいから母を護って欲しいと考えたから贈りました、とでも書けばカッコ良いのでしょうが、実際のトコは「それいいじゃない」と奪われたままなだけだったりします。
オレよりも似合ってるので取り返そうなんて思いませんがね。
少しばかり歪んだマザコンなのかもしれません。
バイヤーやら営業やらが、経営者に突きつけられる言葉のひとつです。
もっとシビアに突きつけられる環境にいたこともあるのですけど、その環境でのオレといえば随分と脱線していたように思います。
数字を突きつけられたところで気に留めるわけもなく、単価の高い相手を狙うのではなく単価の低い相手をパラパラと数だけ集めていたような気がするんですよ。
それはもう薄利多売状態というか、ナンパ状態とでも言った方がいいような感じで。
経営者的には好ましくない従業員だったのかもしれませんけど、周囲のトップランカーが不振を理由に消えていく中で、オレ自身は首切りどころか肩たたきにあうこともありませんでした。
今にして思えば、店に入りきらないくらいに「流行っている店」というブランドイメージを捨てたくなかったんでしょうね。
何を言いたいのかというと、局部的な数字の魔法に騙されちゃいませんか?ってことです。
爆発的に目立つのもいいですが、目立たずにコツコツと積み重ねたものはその爆発力よりも大きな力を持ちます。
長年コンスタントに10を取ってきた人間に、稀に100を拾うようなムラのある人間は、たとえ同じ数字を上げていたとしても、いずれ突き放されるときが来ます。
願わくば、コンスタントに10を取りつつ、好機をものにするようなステキなコトをしてみたいものですけどね。
まずは真面目にコツコツと…。
似合いませんが、オレの根底には確実に存在するものです。
体中に沁みついたクスリを断とうとしている、あるいは心の病から回復しようとしている人から、「分かってくれる」とされるのは嬉しいことです。
オレは心の病や麻薬中毒に関する専門書を腰を据えて読んだことはありませんし、専門医に患者や付き添いとして話を聞いたこともありません。
でも、心に病魔を巣食わせてしまった相手に対して、どういう言葉をかけてはいけないのか、かけなくてはいけないのかは知っています。
なぜなら、心のケアという経験が少なからずありますから。
それは接することになる人のケアに、必ずしも合致することはないのかもしれませんが、応用を利かすことで、様々なケースに対処することができるように思います。
理解というのは自分で味わい、それを自らの糧とした人間にしかできないことだと思います。
プロファイルやヴァーチャルリアリティは、自身の経験とは似て非なるものであることを忘れてはいけません。
狂気に触れたものにしか、狂気の真意は理解できませんから。
似非ギッチョ。
楽しく記憶を失った翌日は、ごく稀に左手の甲か拳に擦過傷ができています。
それは確実に自分の拳よりも固い「何か」を殴った印。
おそらくどこかの壁と喧嘩をしたのでしょう、と思い込んでおきます。
ふと、学生の頃は腹を立てると相手ではなく、トイレの壁を殴ったのを思い出します。
その当事から相手に反応があると殴りすぎてしまう悪癖をよく知っていましたので、ただ冷たい感触を返す壁を殴っていたのだと思います。
そのトイレに足を運んでいた1年足らずの間に、トイレの壁に拳型の凹みがいくつか作られたのは言うまでもないでしょう。
実は何年か前に母校の文化祭に顔を出してみて、壁の補修跡を見て罪悪感に苛まれたのはナイショです。
それにしても、どちらの手でもある程度のことはできるとはいえ、普段はアレだけ意識しないと使わない左手なのに、酔って殴るときは左利きなんですかねぇ…。
うっすらと残る傷跡の数々を見て、少し不思議な気分になってみたり。
文章を書くにあたって、「単語」の存在が大きいです。
文を構成する要素としてではなく、文を書き始めるはじめの一歩として。
最近、思いついたものを羅列すると以下のようになります。
の髑髏アメ、タンスダンスタンス、新堀ギター教室、ヒゲヒゲジーンズ24時、瓦割りボンバー、リップスティックジャンプ、悪魔の毒々モンスターの秘密日記、花時計の山崎直子、ういうい(by.Mチカ)、ミニスカポリス来栖、横道坊主、爆走キャバクラ7連荘、軽めのハイハイン、ゲゲッゲ、チューヤンの相方、などなど。
半分以上がネタみたいなもんですが、その言葉にインスパイアされて書き始めた文がいくつもあるのは確かなのです。
中には、(WEB上の自己満足とはいえ)公開したくないレベルのものもありますけどね。
とりあえず、オレが真面目な文であれふざけた文であれ、書き始めるのに要するコトバは上記のようなおよそ文章内容や本題とは関係のないものが多いのです。
実は、こういうネタちっくなバカな単語から多少なりとも心に響かせる文章を書くことが出来たとしたら、ひどい食材から美味い料理を作れたときのような感動が得られるのではないかな、なんて思っていたりもします。
ゆとりって大切だと思います。
ものを考えたり感じたりする上で、ゆとりがないと良いものは生まれませんから。
ここで言うゆとりというのは、精神面はもちろんですが、金銭的・物質的なものも含めて考えていただけるとありがたいです。
オレも第三世界というコトバはキライですが、あえて使わせていただきます。
その昔、第三世界の人と知り合う機会があって、彼の帰国後も何度か手紙を交わしたりしていました。
今も昔も欧州好きは変わらないので、彼の母国への興味というよりも、彼の人柄や話す事柄に惹かれていたんだと思います。
思いますというのは、今となってはどうして手紙を交わしていたのかも分からないからです。
最初のうちは近況や出会った場所の変遷を記して楽しくやっていたんですが、いつしか「日本にはこういう便利なのがあったよね、後で送金するから送ってくれないか?」とか「日本製のものは品質が良い、後で送金するから送ってくれないか?」という文面ばかりが並ぶようになっていました。
送金が当てにならないのはもとより、自分の近況すら知らせない「くれくれ君」に成り下がった、かつて友人であったと思われる人に対して、自分の労力を費やすことに何の意味も見出せなくなっていました。
結局のところ、彼から得られたものを思い出すことすら出来ません。
ただ唯一彼から得られたのは、金銭的・物質的な余裕がないというのはどういうことなのかということ。
おぼろげながら理解できた気がします。
心のゆとりのためには、金銭・物質的なゆとりが少なからず必要になるのではないかなと。
もちろんどれだけの金銭・物質を以って、ゆとりあると表現するのかは人それぞれであることを忘れてはいません。
みんな色々と溜まってるようです。
特にオレが…、なんでしょうかね。
楽しく飲むと普通に記憶を失います。
とりあえず初めて乗ったヴォクシーの2列目は快適でした。
最近、周囲の厚意でボクは楽しんで生きていけていることを実感します。
こういう風にビジネスライクでない付き合いの出来るお店や、腹を割りすぎる友人たちに出会えたことを嬉しく思います。
ありがとうございます。
相談には取るに足らないつまらないものが混じっています。
それが当人の言う「どん底」であるのだとすれば、それこそその人の底が知れます。
そもそもその程度のものがどん底になりうるのだとすれば、世の中は底なし沼だらけになってしまうような方もいるのが現状です。
相談相手に選んでいただいたことは光栄ですが、くだらないと思うことに親身になって接することができるほどオレは大人ではありませんし、付き合えるだけの時間の余裕も今はありません。
ちょっとした傷で死にたがるのは、マトモな神経の持ち主なんでしょうか?
これから先だってそんな出来事はどこにだって転がってると思うんですけども。
負け犬ムードで悲劇の主人公を気取るのもいいですが、周囲は巻き込まないで欲しいものです。
オレは自分の底も天井もまだ見ていない気がしますし、実際のトコそんなに酷い目にあったつもりもイイ目を見た記憶もないですから、まだまだ底だの天井だのを探っていこうと思ってます。
「人生なんて楽しんだもの勝ち」「青春なんて気の持ちよう」、そんな言葉もあります。
オレは自分についた傷や痛み以上にこれからも人生を楽しみますし、死ぬ前に自分の足跡を振り返ってみて「青春ってのは随分と長いんだな」と思うことにします。
とりあえず、本気で死ぬ人は「死にたい」なんて口にしません。
生き残ったからには、それだけの覚悟がなかったと思わなくてはいけないと思いますよ。
***
>トップの雑記とpiecesってどう切り分けているんですか?(フォームメールより)
挿絵を付けたいか否かくらいの違いかなと思います。
最近では言葉遣いや文体の違いも出てきましたが、書き始めた当初はホントに差がなかったので。
基本的な理念としての相違は、連想させる写真の有り無しくらいだと思います。
>どんな服装でバーとか行ってるんですか?(フォームメールより)
質問の意図が見えませんが、バーめぐり相談なんでしょうか?
それでしたら、まさと兄さんのサイトの方が参考になると思いますが…。
オレは基本的に仕事上がりに寄りますので、スーツが多いです。
休日であれば、ジーンズにカットソー合わせてとかラフですけども。
ドレスコードにうるさい店は苦手ですが、ハーフパンツ不可というのは理解できなくはないです。
やはり周囲から浮くようなカッコだけは避けますね。
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