夕暮れ。
童謡の流れる時間。
お家に帰ろう。
昨日と今日の間に
バーで夜食を食べてみました。
遅い晩飯と言いたいのですけど、さすがに深夜にかかる時間は晩飯とはいいがたいので。
いつも通りにカウンター席に座り、フードをオーダーしてからのんびりとドリンクを楽しんでいたんですが、どこかほんの少しだけスタッフの印象が違うのに気づきました。
なんていうのかいい意味での「やる気のなさ」が魅力なスタッフに、目が血走らんばかりのやる気が見えたのですよ。
どうしたのか尋ねてみると、今夜は50人規模のパーティが予約されているとのこと。
さすがに気合も入るはずですよね。
久々に満席を目の当たりにするのかなと、近場の常連客と談笑しながら待っていると、ハタチそこそこの少年少女がワラワラと入ってきました。
どうも同窓会でもやるらしく、顔を合わせては「久しぶり」とか「今、何やってんの?」というお決まりの挨拶が交わされているのが見えます。
さて、それではファーストドリンクのオーダーが入ってパーティの開始だね、と思ってたらなんだかダラダラとバラバラにオーダーが入り、自分の座っていないテーブルとは会話もゼロ…。
談笑がてらしばらく観察していたんですが、なんだか別々の客が入っているようにしか見えませんでした。
きっと随分前から予定を立てて幹事もそれなりに気合を入れていたのだと思いますけど、どこかバラバラというかグダグダな感触が否めませんでした。
その夜はじめて顔を合わせたカウンター席のメンツの方が、よっぽど一体感に包まれていたような気がします。
誘い合わせて飲みに来る、飲んでいるところに集ってくる、どちらが楽しそうに見えるのかよく分かった気がします。
とりあえず、海外旅行でガイド片手に特定の店を探すより、ポンと入ってみた店で逸品を見つける方が、オレは性にあっているようです。
むせ返るような煙草の香りと嬌声と自己主張の強いBGM。
誰かの忘れていったキューを握って、グラスに注がれた酒をあおる。
酒の飲み方など知らなかったし、記憶を失うほどに酒を浴びたい気分だった。
マトモに球を打つことすらままならないのに周囲の連中も不思議と大笑いをしながら、いつも通りの夜を楽しんでいた。
あの夜もこの香りがしていた。
香辛料の焦げる香りと煙草のそれとが重なったこの香り。
この煙はイヤに昔を思い出させる。
でも、肝心なトコだけ抜けている。
思い出したいトコロは、真黒に塗りつぶされたまま。
でも、それでいい。
いや、それがいい。
隣りの客がガラムを揉み消すのを確認して、オレはゆっくりとカウンターを立った。
倒れてはじめて背負うことの重さを実感します。
ただひたすらに眠くとも起きています。
肉体が臨海に達するまではそれに気づくことさえありません。
何が良くて何が悪いのか、オレには見えません。
でも背負うことの楽しみも悲しみも、背負わなければ知ることはありません。
何を以って背負うというのか、その定義などどうでもいいものです。
心地好い疲労というにはガツンと鎚で殴られたような衝撃を、嬉しく思ってしまうのは病気なのでしょうか。
今はただひたすらに眠りたい気分です。
何も考えずに。
大きな国道を通って駅まで動くので、ほぼ毎年年度末の工事ラッシュに遭遇します。
本当に必要ある工事なのかなと疑問に思います。
予算消化のためだけの工事ではないのかなって。
たしかに雇用や給与がそこでしか得られない人もいるかもしれません。
そういう意味では必要なのかもしれませんけど、今年ばかりは普段以上に考えさせられます。
近所に臓器移植でしか助からない病魔を抱えた青年がいるそうです。
どんな病気なのかと記事に目をやると、10年以上前に友人がかかった病気の症状とよく似たものでした。
友人は体調不良をうったえて帰宅したまま、学校に戻ってきませんでした。
でも彼はまだ間に合うかもしれません。
移植を受けるのに必要な5000万円という金額は決して小さなものではありませんけど、必要のない道路工事をいくつか減らすことが出来れば工面できるのではないでしょうか。
今年は赤い回転灯がイヤにまぶしく感じます。
きっとオレはその回転灯を見ながら通い慣れたバーへと歩き、カウンターに置かれた募金箱に紙幣を差し込むでしょう。
高い酒でも飲んだつもりで。
青年の笑顔を友人のそれに重ねて。
シーパラシー太に会ってきました。
ええ、空いてましたよ平日だけに。
春休みシーズンというほどの時期でもないので、うるさいお子様連中も少なかったのでまったり楽しめました。
相変わらずペンギンは元気に泳ぎまわっていて、ホッキョクグマはやる気なさげにゴロゴロしながら餌をねだってました。
やっぱり水族館は気持ちが和みます。
そうそう、クリオネコーナーで流氷が舐められたんですが、アレってしょっぱくないものなんですね。
意外というか驚きでした。
そして、久々に乗ったジェットコースターはとにかく寒かったです。
八景島で思い出して連絡を取ってみました。
ステキな名前に、ついつい笑みが浮かんでしまいます。
たまには泣くこともあるんです。
よく無感情とか言われますけどね。
涙腺を刺激するポイントが人とは違っていたり、その回数が少ないだけなんです。
いえ、むしろ自分で抑え込むのが上手いだけなのかもしれません。
でも、そうせざるを得ない状況にいたことがあっただけで、根底にあるものは周囲の人と大差ないはずなんです。
まぁ、実際のところは分かりませんけどね。
ただ、思いきり泣けなければ、腹の底から笑えないことは知っています。
感情を抑えようとする時は、負の感情だけでなく正の感情をも抑え込んでしまうことをよく知っています。
涙を流すことを許されないのは、泣き続けるより辛いことを知っています。
嗚咽交じりに涙を流すのは、明日の笑顔のためです。
ビーチサンダルって真冬以外は大活躍します。
ガキの頃からずっとそうやってきましたし、夏場はスニーカーすら履きたくないので通学にもよく使ってました。
それが一般的じゃないと気づいたのは高校卒業後くらいでしょうか。
何気なく都内までいつものようにビーチサンダルで出掛けて、周囲に「あり得ない」と言われたのがきっかけです。
夏場のデフォルトがビーチサンダルなのは海民族だけなのを知った瞬間の衝撃といったら、鉄パイプで殴られたような大きさでしたね。(たとえが悪すぎて余計に意味が分からない)
まぁ、オレに言わせりゃビーサンがあり得ないというのがあり得なかったんですけども。
だって、足は蒸れないしツボは刺激されるし、至れり尽くせりなフットウエアじゃないですか。
アレがデフォルトじゃないなんて、みんなどうかしています。(いえ、オレがどうかしています)
ちなみにお気に入りはずっと無印のノーマルビーチサンダルです。
履き始めから1週間くらいで足に馴染むうえに、わりと長く履けるところがステキです。
お知らせ。
写真系コンテンツを休止します。
気が向けば次は写真素材でもやります。
オレは人に付きます。
いついかなる状況であっても、環境や待遇よりも人を選ぶのです。
バーやカフェの酒やお茶の質などは大して考慮しません。
スタッフの接客の気持ちよさだけを念頭に置いて、その店に通うか否かを決めます。
そして、仕事も同じような感覚でいるようです。
一時期飼い殺しのような状態で仕事をしていたことがあります。
まだ二十代のアタマだったオレは、かつての同僚があからさまに酷い待遇で辞職していく中で、唯一の同僚と上司の3人で碌な仕事も与えられずに毎日を過ごしていました。
正直なところ、辞め時だったと思います。
それでも辞めなかったのは、きっとその上司を敬愛していたからでしょう。
上司というにはあまりにも父性を持ち、時に駄々っ子のような顔を見せる、そんな彼が好きだったからでしょう。
決して自分だけが正しいと主張したり責任を他に持っていこうなどとしない強い面と、ちょっとしたミスを照れ笑いで謝ったり駄々をこねる素振りを見せる幼い面、あの人間らしいというか男の子っぽい二面性を愛していたのだと思います。
今では随分と距離をおいてしまいましたが、未だに彼の下で時には上で仕事をしていたあの心地よさを忘れません。
彼の人のような人間的な魅力を持つ人には、なかなか出会えないものです。
アイトーイってなんかスゴイ。
気づいてみれば、男女関係に全く興味がありません。
誰と誰が付き合ってて誰と誰が別れた、という話は聞いても1杯のバーボンで忘れてしまいます。
気にいった女は誰の女だろうと口説くからなのか、それとも本当に興味がないからなのかは分かりませんが、気がつけば本当にそういう絡みの話には驚くほど疎いですし、面白いと思ったこともありません。
そもそも、男とか女というプラカードを掲げてるようなヤツがキライなんだと思います。
振り返ってみればオレの友人や仲間のほとんどは、男とか女という以前にその人としてオレの中に存在しています。
そういうのは「男に生まれたかったなぁ」なんて言われると、「出産と生理以外で良ければ、代わろうか?」と言いたくなるオレだからなのかもしれません。
結局のところ、男とか女とかなんて給食当番や掃除当番と大差ないと考えてしまうのは、変わり者ゆえなのでしょうか。
どこでも溶け込んでいくよね、と言われることがあります。
言動や態度、容姿に至るまで決して周囲に合わせるタイプではないのに、というおまけつきで。
たしかに店の入りにくさに面食らって店を選び直すようなことはしません。
店側からやんわりと断られることはあったとしても、自ら望んで来店の機会を逃すような真似はしていない方だと思います。
良さそうだと思ったらその店のドアをくぐってしまっている、そんなタイプの人間なのだと思います。
最初はのんびりと飲みながらも、少しは店の雰囲気をうかがいます。
ただしそれは、粗を探すとかそういう類のものではなく、何をしたら面白い店なんだろうという、子供っぽい悪戯心に近いものです。
店の中に溶け込んでいると取られるのは、そうやって感じたイチバン楽しい方法でその店を楽しんでいるからなのかもしれません。
海外旅行だろうが、飲み歩きだろうが、独りで動くことが多かった人は少なからず身に付けているものではないかなとも思ったりするのですけどね。
溶け込むことは多くても、混ざりたい相手はそうそういないことを付け加えておきます。
のんびり飲みたい。
かつてあの店のあった場所に立ちました。
でもそこからは何も感じませんでした。
当然、壁が真っ白に塗られたからではありません。
店の前に立った時間が昼間だったからなんて理由でもありません。
そこにあった感覚が一切なくなっていた、ただそれだけです。
漠然とした虚脱感に襲われて足早に通り過ぎましたけど、その感覚だけは確かです。
主のいなくなった家というのはこういうものでしょうか。
他のお気に入りの店であれば、跡地や違うものとなった看板をファインダーに収めようとするものですが、今回ばかりはカメラを向けることすらためらわれました。
去来した寂しさを胸に、ただ一言。
「ありがとうございます」
もうあの場所に帰ることはありません。
それだけは確かです。
キスには大きく分けて2種類あると思います。
ドキドキの止まらないキスとホッとするキス。
雌雄としての性的衝動を刺激する前者と慈愛や擁護といったもので包み込む後者。
恋人としてのキスと家族や友人としてのキスと言い替えることもできるかもしれません。
恋人同士やカラダだけのつながりならドキドキする、あるいはさせるだけの接吻があればそれでいいでしょう。
逆に親兄弟や友人としてだけの付き合いであれば、挨拶や優しさを乗せた接吻があればいいでしょう。
それじゃ、結婚相手に求めるものはどちらになるのかなって思うことがあります。
家族でありながら恋人でもある、そんな相手には一体どちらを求めればいいのかなって。
オレは両方出来なきゃダメだと信じています。
オトコやオンナに火を点けるキスも当然必要だし、いやらしさをまったく感じさせない包み込むような優しいキスも出来なくちゃいけないものだと思っています。
ドキドキさせるだけのオトコでも、ホッとさせるだけのオトコでもなく、その双方をずっと持ち合わせているオトコでありたいのです。
やっぱり欲張りでええかっこしいなんですよね。
幼い頃の地元に暮らしているので帰郷というのは分かりません。
ただ、帰れると表現できる場所はいくつかあります。
死んだかと思ったよと悪態で迎えてくれる、雑多なバー。
ひさしぶりーと声をかけてくれるキレイなおねいさんのいるカフェ。
無言で再会を喜んでくれる店主のいる、静かなレストラン。
いつものメニューを食べながら、お互いの近況を話して笑いあう。
かつてのオレたちを知らない、周囲の客たちの意外そうな顔を尻目に話は盛り上がる。
ちょっとした会話の中に冗談やオレにしか持ち得ないものを織り交ぜて、オレはココにきた証を刻み付ける。
いつになるか分からない、次の再会を誓ってオレは手を振る。
帰れる場所があることを感謝します。
こういった場所をつくる、オレがオレであることに感謝します。
そして、こういう楽しみ方を教えてくれた人たちに感謝と深い愛を感じます。
チャーミングセールの冷やかしに行ってきました。
初日を外している時点で買う気ゼロなわけですが。
地下鉄効果でどんだけ変わるものだろうと思ってみたわけです。
人込み具合はさすがに変わってましたが、それ以上に店がポンポン変わっていたのが印象的でした。
変遷が早いのは元町の特色ですけど、それにしても一気にガラリと変わったなって印象です。
それにしても革のヒロキがメインストリート沿いに出てたのは意外でしたね。
奥まった入りにくさと高級感が相まってステキだったんですけど、これからどうなるんでしょうね。
そして冷やかしで見てきた中でも究極が、このお店の8万近くするタヌキのぬいぐるみ。
大きさは子供が普通に抱えて歩くくらいのサイズなんですが、フランス直輸入の上質の毛皮を使っていて手触りのよさは致死性です。
赤ん坊なんか触ったら2度と話さないこと請け合いです。
店主いわく「オトナのオモチャ」だそうな…、たしかに的を得ています。
触ってみなけりゃ、値段が決して法外なものではないことに気がつかないだろうなって思いました。
触ってみなけりゃ、ディズニーストアで売ってるような気持ちのいい触り心地の人形に疑問を抱くことはなかっただろうなと思いました。
知ってよかったなと思う事実が1つ、知らなきゃ良かったなと思う事実が1つ。
今年のチャーミングセールで得たのは、服でもなければ宝飾品でもなくステキな知識でした。
あ、久々に食べた栗の木のパスタは相変わらず郡を抜いて美味しかったです。
見透かすような目をしていると言われたことがあります。
実際のトコ、そんなに洞察力に優れるわけでもないんですけどね。
ただし、男女を見る目は無きにしも非ずです。
水っぽいことをしていた際に、将来的にキレイになるとかカッコ良くなるというのが、不思議と見抜けるようになりました。
今はパッとしなくてもちょっとしたスパイスを加えてやるだけで、周囲が見違えるような変化を遂げる人ってそうそう少なくないものなんですよね。
当人や周囲がそのスパイスに気付かないとか持ち合わせていないってだけで、パッとしないまま終わってしまう人も少なくはないようですけど。
オレがカッコイイとか可愛いとかいう相手は、必ずしも目を引く人ではないかもしれません。
でも時間をおいて再会してみれば、オレが賞賛した理由は明白になっているはずだと信じています。
ダイアモンドだって原石のままでは光り輝かないって、オレはよく知っています。
キレイな女のコをつくるのも、カッコイイオトコをつくるのも、ちょっとした気配りと簡単なヒントを与えてあげればいいだけ。
知らないと結構損をします。
原石の側であっても、それを磨くことなく見落としてしまう側であったとしても。
焼肉は肉屋直営店が色んな意味で美味しいです。
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