fountain

夕暮れ。
童謡の流れる時間。
お家に帰ろう。

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巻込

時計にしろ服にしろ装飾具にしろ、ある一定レベルまでいくと同じにしか見えないわけです。
時計であればロレックスだのオメガだのと下手な中古車張りの値段のするものもありますが、オレにはホームセンターで売ってる3000円くらいの時計と見分けがつきません。
服であれば多少なりとも関わりがあったので、ペラペラなくせに恐ろしいまでに値段のするゴルチェの縫製の素晴らしさとか、ヨウジさんトコの見た目は普通なのに致死性の価格帯の服たちの着心地の良さは知っていますけど、それにしたって周囲から見れば対価に見合ってるか否かなんて分かりません。
結局のところ、良いものを身につけているという本人の思い込みと自己満足にすぎない世界なのだと思います。
自分の行動もそれと同列でいいと思うんですよ。
周囲に迷惑や被害を与えない限りは。
あんまり気張らずに息吐き出して気楽にやればいい。
自分の好きなものを街で探すそんな感覚で、のんびりと楽しめればそれでいいはず。
誰かの顔を立ててとか、つまらない気遣いをするくらいなら自分の信じることを信じるようにやればいいはず。
自分の好きなことに周囲を巻き込んじまった方が絶対に楽しいと思うんですよね、少なくともオレは。
そうやって10年以上やってきたし、これからもそうしていくつもりです。
巻き込まれながらオレを巻き込んで大笑いするか、爪でも噛んでオレたちの背中を見ているか、追いかけてきて後頭部をスリッパで引っぱたくかは、周囲の方々にお任せします。

勉強しますよ。
少しずつスキルアップしてかなきゃね。
センスのアップは望めませんけど、それもまたアリかなって。

疎んじられる性格だと思います。
旧態を大切にする、あるいは異端を認めないタイプの人間には。
ただし、その逆のタイプの人間には、愛される場合もなきにしもあらずって感じです。
どちらが良いのかと問われれば難しいですけど、どちらが得かと訪ねられれば前者に認められる方が色々と得なんじゃないかなとは思います。
だからと言って前者に取り入るようなことができないのが天邪鬼の本領発揮なのですけどもね。
なんていうのか自分を自分らしく表現できれば、それがイチバン疲れないでしょうし、イチバン楽しいのだと信じています。
無理に右に倣うよりは、遊び心を加えて面白おかしくやってみたいのですよ。
一時の花火であったとしても、ただ華もなくズルズルと続いていくだけよりはよっぽど良いことですから。
「自分らしくあれ、それがイチバンお前を魅力的に見せてくれるから」
そう教わったのは何年前か。
実践できているかは分かりませんけど、実践する気持ちを忘れてはいません。

君をさがしてた

最近ゆるいカッコが好きです。
多分、昨年の夏くらいからの趣味だと思います。
ヘンリーネックとかキーネックとか、鎖骨をアピールするようなカッコが多くなりました。
なんて言うのか、ゆるいのは楽でいいです。
最近はタートルネックとかハイネックが息苦しくて、あまり着ようとは思えないのです。
たしか10年位前もこんな風な趣味が色濃かったなぁ、とふと思い出してみたり。
鎖骨がキレイに出ていると当時もやっぱり女の子受けしなかったよなぁ、と思い出さなくてもいいことまで浮かんできてしまったり。
やっぱりだらだらしたカッコが好きなんですよね、今も昔も変わらずに。
1か所外すのではなくて、全体的にガキっぽくなってるのは仕方ないのかもしれません。
スーツ姿で会っている人が思うほど、プライベートな時間はカッコにも落ち着きはないのです。

自転車泥棒

素直に笑うことを思い出したのは、それほど昔ではありません。
まだ5年も経っていないんじゃないかと思います。
ふと気がつくと、物理的であれ精神的なものであれ、周囲から誰かがいなくなる度に、心の扉や窓を次々に閉じていく自分がいました。
多感とされる時期にそういうことを経験したからかもしれません。
いつしか心から笑みを浮かべることができなくなってしまった自分がいました。
たしかにコントやコメディーを観れば、腹がよじれるほど笑うことはできました。
でも、誰かと酒を酌み交わしたり、カラオケに行ったとしても、楽しいと感じているつもりでもどこか表情に陰があったと記憶していますし、旧友との再会の際には思い出話に織り交ぜてそれを指摘されることも少なくありません。
当時はすべて放棄することで、泣くのを我慢していたのだと今なって思います。
喜怒哀楽を表現するのは疲れますから。
でも、心から泣けなければ、心から笑えることもありません。
相手の目の前で泣き崩れることを自分に許せる人と出会えたことに感謝。
ガキのように笑える自分がまだいたことにも感謝。

わがままだからこそ、コレだけは通さなくちゃいけないと思います。
場合によっては角が立つことになるでしょうけど、それでもなお通さなくちゃいけないと信じています。
バカがクズにならないためには必要なことだと。
合理的に考えることができれば、不利益をもたらすような場合のそれは投げ捨ててしまって構わないのでしょうけどね。
やはりあまり賢くはないのでしょうね。
どうしてもどうしてもと、固執してしまうような部分があるのです。
そしてそれを周囲にも求めてしまうのは悪い癖でしょうか。
とりあえず、筋の通らない屁理屈は好きではないですし、そうやって反対意見を押さえつける輩はキライです。
そういったものも受け流して賢く生きるには、少しばかり職人気質なようです。
そういう性格が似合わないのは百も承知、ご安心ください。

あまり良くない精神状態。
冷えているというのが妥当な表現でしょうか。
冷めているのでも冷たいのでもなく、ただただ冷えているといった感じです。
いわば熱さまシートです。

現実

現実主義者ではないですけども、そういう感じはしているかもしれません。
めっきり小説や映画が遠退いたのは、感触の伝わらないものが増えたからです。
笑い飛ばせるコメディなら、そんな感触はいらぬお世話なのですけどね。
聞いたこともない名前の料理を食べるシーンがあったとして、そこに味や香りを感じられることがなければ、大多数の人にとってはつまらないシーンだと思うわけです。
それと同様に、殴られる描写ひとつとっても痛みを感じないのでは、オレは主人公にどう感情移入していいのかが分かりません。
取材活動のできる地盤のある人であれば、それなりの経験のある人間から取材するなり、実際に体験するなりして欲しいと願います。
小説は現実を超えません。
寄せ集めの知識は、痛みを伴う経験にかなうことはないのですから。

1つの指輪はすべてを統べる。
やっぱりドラクエ世代の心には訴えるものがあります。
入り込めないヤツらは無理せずにさようならって感じです。

Love is a Battlefield

性格って持って生まれたものが大きいと考えています。
ガキの頃から明るいやつは明るいですし、その逆もまた然りということで。
でも変えようとすることって割りと簡単にできるとも思うんですよね。
実際に変化していくには時間がかかるというのは確かですけど、その方向に向かうことにそれほど時間を要さないと。
例えばどれだけ性格の暗いヤツでも、挨拶をどこでもすることで多少なりとも明るくなる方向を見出すことは難しくないと思います。
要は自分の性格の悪さを嘆いて思い悩むよりも、はじめの一歩を踏み出せるか否かっていうところにより、重きを置いて考えればいいのではないかなと言いたかったんだと思います。
ちなみにオレの性格の悪さは有名ですが、あまり直す気はありません。

貸借

貸しとか借りっていうのが苦手です。
返せない借り、少なくともオレにとっては返すことのできないと考える借りが、これまで生きてきた中で確実に存在するわけです。
そういう大きな存在が「借り」と考える過程で、貸しや借りをつくるというコトバ自体があまり好きではなくなりました。
ある種の精神的外傷になるのでしょうか。
そのコトバを使うことで、借りを返せなくなってしまうという恐怖に陥ってしまうのです。
貸しをつくったままというのも、借りをつくったままというのも、やり残してきたものがあるという点でとても気持ちのいいものではありません。
殊にその感情を一生涯、背負い続けていかなくてはならないと思うと、そのコトバを使うことに気が滅入るのです。
貸し借りなんてメシ代くらいにしておきたいのです。
いやメシは奢ってくれた方が嬉しいですけども。

心酔

コイツは酔ってるなぁと思うことがあります。
オレもそういう立場にあることもありますから、忠犬とは言い切りませんけど、第三者的な目を忘れてしまっているなと思うことがあります。
たとえ大切に庇護してくれているにしても、最終的にそれは他人であることを忘れてはいけないと思うんです。
そういうヤツは最後の最後で突き放されて堕ちていくしかありませんから。
それこそ、突き放して落とす側だった人間からの視点に過ぎないかもしれませんけどね。
より高みまで連れて行かれて、再起不能に陥るよりは早いうちに目を覚まさせてやりたかったというのは、言い訳にすらならないと知っています。
でも酔いを覚ますにはそれなりの衝撃を与えてやらなくてはならなかったのは、言い訳ではなくて事実だったと信じています。

のんびりと飲みたい気分です。
ガヤガヤでもワイワイでもなく。

鬼に集中砲火

欲が薄いとか言われます。
でも人間の欲なんてそれほど変わらないと思うんですよ。
すぐさま表に出すか、溜め込んで熟成させてから出すかってだけの違いで。
まぁ、ベクトルは一致などしないでしょうけどね。
オレはどちらかといえば、すぐさま表に出してしまうタイプなんですよね。
それが一般的に恥ずかしいとか、そういうオレにとってはつまらない感情を抱くよりも前に、口に出してしまうんですよね。
可愛いコがいれば恋心を告げますし、ムカつくやつがいれば憤怒を伝えますし、面白いことがあれば周囲を巻き込んで大笑いしますしね。
軽薄に見えるがゆえに欲とかそういうものと縁が薄いように見えるんでしょうかねぇ…。
とりあえず溜め込んでドロドロした感情に成り果てる前に、声だとか態度だとか行動に出してしまった方が楽しいと思います。
欲望の昇華など、普通の人たちにはそうそうできないんですから。

***

「I was born to love you」が、「ボーン・トゥ・ラヴ・ユー」とされているのを見て寂しくなりました。
何故「I was」とついているのか、制作者は顧みてくれなかったのかなぁ。

関内

オレにとって大切な場所です。
社会人として育ててくれた街ともいえます。
良い思い出も悪い思い出も同じくらいたくさんある、そんな街です。
幼い頃、関内といえば風俗と中華街だけだと思っていました。
自分が飛び込んでみて初めて、そのバーの多さに驚かされたものです。
石を投げればバーに当たる、と表現しても言い過ぎではない街なのです。
オレのバー好きはここから始まり、おそらくこの土地を顧みることすらしなくなった時に終わるのだと思います。
この街のバーを通じて、他では得られない出会いと別れを経験してきました。
きっとこれから先もそうやって、出会いと別れを繰り返していくのだろうと思います。
臆することも気取ることもせず、ただ自然体であり続けるのだろうと。

チェイン

「人間ゼロから生まれてゼロに還っていくんだ。何か失うものがあるかい?」
記憶が定かではないのですけど、誰かの台詞にあった気がします。
MONTY PYTHON作品のヒトコマでしたっけ?
この台詞ってすごい好きなんですよね。
オレの人生におけるベースになっているというのは大袈裟ですけど。
こういう言葉の意味を考えていくと、何かを得たことをとても喜べるとともに、失うことに対してもただ寂しさや悔しさを感じるだけでなく、何らかのプラス要素を見出すことができるんじゃないかと思うんですよね。
まぁ、あのブラックでくだらないコメディを観て、ここまで考えられるオレってある意味イカレてるとも思いますけども。
そういえば、あのグループの日本語訳のついてるビデオとかDVDってまだあるんでしょうか?
また観たい気分なのですが。
ちなみに、テリー・ギリアムの監督映画は別にどうでもいいです。

悲しみの花に

たしかにガキの頃の未来には立っています。
でもガキの頃描いていた大人は、オレたちよりもずっとオトナだったと思います。
そして、もっと善良な人間であったように思います。
何を以って善良とするかは人それぞれですが、オレにとって自分自身は決して善良ではあり得ません。
悪者を気取るつもりもないですけど、不良中年を目指しているのでそのきらいがあることは否定しません。
善良でないがゆえに得たものもありますし、当然失ってきたものもあります。
オレはその双方を誇ります。
あの頃描いていた未来のオレよりも、今ここにいるオレのが何倍も男前なことを誇ります。
楽しい時間、消せない傷、愛しい仲間、…そういったものたちがオレに磨きをかけてくれたと信じています。

***

東横線、桜木町~横浜間に感謝。
今までありがとうございます。
寂しくなりますわな。

時がたてば

譲らないものと譲れないもの。
圧倒的に前者が多いはずですよね。
オレにとっては自身の誇りなんてものは譲らないものに分類されます。
足枷になることもありますし、場合によっては捨てることだって難しくはないものですから。
逆に譲れないものはなんだろう、と考えてみると少し難しいですね。
譲ることで自己の崩壊を招くようなそういった種類のものって思いつかないです。
強いて言うならば、先述の自身の誇りを構成している、大切な人たちとの約束や思い出、そしてその大切な人たちということになるのですかね。
大切な誰かとのつながりは本当に大切にしたいと思うのです。
それだけは神に対しても悪魔に対しても譲れませんわな。

クルマ

気づけば最後にステアリングを握ってから1年が過ぎました。
ここまで離れると逆にアクセルを踏んでいたことを忘れてしまいそうです。
趣味だったはずのドライブが、随分と遠くに行ってしまったことをふと実感します。
実際のところは分かりませんけど、大概のことは公共交通手段で事足りる土地に住んでいると思っていますので、不便を感じることは少ないのですけどね。
乗りたいと思う気持ちが、まだマトモに乗れるのかな、というのに変貌していくのはいたしかたないのでしょうか。
彼のオトコがかつて乗っていたのと同じ、黒いS30を横目に見ながらそんなことを考えてました。
なぜそのクルマを選んだのかを熱っぽく語る彼の姿を、つい昨日のことのように思い出しながら。